伸ばした腕のその先に
「宵?」
 試しに、その名前を呼んでみる。壊れものに触るように。

「宵!」
 今度は少し強めに呼んでみる。強く抱きしめるように。

「しょう」
 抑揚を無くして呼んでみる。その名を確かめるように。

 
「美月?」
 すると、宵が私の名を口にした。見えない箱の中を探るように。

「美月!」
 今度は少し声を荒げられた。慌てて呼び止めるように。

「みつき」
 ゆっくりと名前を呼ばれた。まるで、文字をなぞるように。


 けれど、私にとってその一言一言は、本当に陽くんのようだった。
 陽くんが帰ってきた。陽くんが私を受け入れてくれた、許してくれた。
 そんな幻像を、幻想だと理解しながら。
「……美月」
 最後に、宵はじっくりと私の名前を呼んだ。
 まるで、心に刻み込むように。
 そのまま、私の瞳のさらに奥を見据えながら、セカイ中のどんなものより素敵な声で私に囁きかける。

「美月はぼくに何をしてほしい? 何になってほしい?」
「どうしてそんなことを聞くの」
「なんとなく」
 宵のゆったりとした、それでいて大きな鼓動を聞きながら、私は悪魔の契約に手を伸ばす。
 今を逃せばもう掴めないかも知れないと、今しかないのだと。

 そして私は、彼に
「私のなくした陽くんになって」
 そんな願いをもらしてしまったのだ。
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