伸ばした腕のその先に
 その言葉から描かれるのは、とても繊細で、純真で、無垢な女の子だった。
 彼の目から見た姿、描いた姿。きっと偏っているからこそとてもキレイに聞こえた。

 宵が親のいうままに入った大学での出会い。
 一緒に文芸サークルに入ろうと誘ってくれた彼女。

 宵の家柄を知っても、何の変化もなかった彼女。
 温室でぬくぬくと育ち、どこか世間ずれしていた彼女。
 その分、人一倍優しくて、その分、人の倍以上傷つきやすかった彼女。
 そんな恋という絵の具に彩られた人間像が、真っ暗な部屋の、真っ黒な天井に描き出されていく。 

「空は、すごく大人しかった。大人しすぎるくらいだったな。
 でも、誰よりも奇麗な瞳をしていたよ」
 宵はそれを自分のことのように自慢する。
 無邪気に、無垢に、だらしなく幸せをこぼしていく。

「薄明の空のように儚くて、すみれの花ように可憐で……まるで、壊れ物のようだった。
 世の中のほんのちょっとしたこと映しこむだけで淀んでしまうような、壊れてしまうような気がして、ぼくはいつも気が気でなかった」
 けれど、その顔が時々曇る。澄んだ水に絵の具を垂らすように、山頂の情景にいきなり靄がかかるように表情がくすんでいく。

「そんなに?」
 私は、彼の手を弄びながら聞いた。
 指と指を絡め、宵の指を曲げてみたり、伸ばしてみたり、舐めてみたり。そこには確かに温もりがあり、私を安心させる。
「うん、その瞳にぼくをずっと映していたくなったくらいだよ」
 そして、宵はどこか遠くを見つめるようにして、その続きを口にした。
「そう、ずっと彼女の瞳の中に生きていたい。そう思ったんだ」
 その横顔は、献花台で見た姿とかぶって見えた。そのまま夜空に溶けしまうと思うような現実味のない声音。私は至高の絵画を眺めているような気分で、宵を見つめていた。

「その子のことすごく好きだったんだね」
 すると宵は申し訳なさそうにはにかんで笑った。そして、小さな子供をあやすように私の頭をゆっくりと撫ぜてくる。
「ごめんね、こんな話」
 目を瞑ると、彼の手の柔らかさだけが私の全身に染み渡っていくようだった。私は宵の身体に頭をもたげ、顔を押し付ける。
「陽くん」
「……うん」
 宵の胸板は、本当の陽くんよりもちょっぴり薄くて、でもなんだかホッとする香がした。
 柳のように細く、それでいてしなやかな腕が再び私を包み込む。

 好きだよ、大好きだよ。
 私はそう宵に囁きかけるのだ。
 そうして、私は底のない泥沼に、ずぶずぶと浸っていっていく。
(陽くん、陽くん、陽くん、陽くん――)
 宵が私の首元にそっと口付けをし、軽く舌を這わせた。
 私はぞくぞくとした快楽の中で、彼の背中に爪を立てていた。
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