伸ばした腕のその先に
 そうして、花と共に過ごす内に時間はすすみ、私の今日の仕事は終わりを迎える。

「美月ちゃん、もうあがっていいよ」
「はーい」
 侑子さんから声がかかり、私は快活に返事を返した。
そして、奥に引っ込むと、紺色の厚手のエプロンと腰に付けたシザーケースを外していく。

 私は自身のまとう店員としての肩書きを外し終わると、胸に手をあて、じっと目を瞑る。
 うん、今日は気分がいい。そうやって、今日一日を、今日の自分を振り返ってみる。 

 仕事をしていれば、必要とされている気がするから。
そんな理由で始めたバイトも、そう甘いものではなかった。
バイトとはいえ立派な仕事、人との関わりは増えていく。
その中で感じる自信の価値、存在意義。それはマクを張っていても私に大きく圧しかかる。

 それでも、ここは私にとって大切な場所だから。
陽くんと初めて会った、かけがえのない場所だから。
 だから、陽くんがいなくても私は未だにここにいる。侑子さんと花を売っている。 

 椅子にポツンとすわっていると、侑子さんが二つのカップを手に持ってやってきた。
中にはコーヒーが入っていて、温かな湯気がゆらゆらと昇っては消えていく。
「はい、美月ちゃん」
「ありがとうございます」
 私がそれを受け取ると、侑子さんも隣に座った。

「もうお店閉めちゃうんですか?」
「あぁ、今日はもういいんだよ」

 そういうと、侑子さんはカップを傾け、窓の外に視線を移していく。
 緩やかな沈黙が、二人の間に流れていく。侑子さんが、またカップを傾けた。
 長いみどりの黒髪、白磁のように白い肌、カップを握るしなやかな指。

 暗くなっていく周囲の中で、その姿はとても情緒的で、侑子さんを包み込むその空間自体が一つの作品のようだった。
 きっと題をつけるなら【追憶】、こぼれ落ちていった時の砂が、風に舞っていく刹那に感じる、仄かな想い。

「もうそろそろ、半年は経ったのかな」
 侑子さんが静かにカップを置いた。コーヒーの水面に波紋が生まれる。
「そう、ですね」
 私はぽつりと言葉を口にし、カップをぐいっと傾ける。
 そうやって、私たちは穏やかな一日の終わりに、陽くんを思い出していく。
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