伸ばした腕のその先に
「あの、侑子さん。あの人?」
 何か嵐が過ぎ去った後のような慌しさがわたしの中にはあった。
 そんな未だに状況を理解できないわたしに、侑子さんは楽しそうに説明をし始める。

「陽くんかい? あれはバイトだけで人生渡っていこうっていう道楽者さ。
 長い時だと半年くらいどこかに消えて、その内帰ってくる。まぁ、帰って来たら来たらでうるさいもんだよ」
「楽しそうな人ですね」

 本当に楽しそう、そう思えた。もちろん悪い意味ではなく、いい意味で。
「まぁね。だが、人懐っこそうに見えて、なかなか飼い慣らすのに苦労したもんだよ。
 わたしは、こう見えて結構な寂しがり屋でね。
 だから、陽くんはあぁやって、ちょくちょく顔を見せてくれる訳さ。花もね、そのお礼だよ」

 そういうと、侑子さんは陽くんが選んでいったスターチスの花を、ぴんっと指で弾いた。
 そして、慌てて思い出したかのようにわたしの方を振り返る。
「ちなみに、好きになるのは、自分だけをひたすら好きでいてくれる人がいいんだと」
「なっ! わ、わたしまだそんなこと聞いてません」
「また来るそうだよ。良かったねぇ」
「もう、侑子さん!」
 わたしは顔を赤らめながら、心の中で驚きの声を上げていた。

 それは、何故か心がとても軽かったから。
 今さっきまでわたしの周囲を囲っていたマクが、彼を目の前にした時だけなくなって……いるような気がしていたから。
 時間が経ってから手を伸ばしてみれば、やはりそこにはセカイとの境目がきちんとあり、わたしはまた冷めた気分でセカイをその目に映してしまう。

 なぜわたしはここにいて、誰のために、何のために存在するのだろうと。
 そんな、決してコタエのない問いを自身に問うてしまう。
 けれど何故か、彼の前ではそんな迷いを感じることはなく、
 ちょっとした嘆きの中でも、彼の存在がわたしの心をほんの少し温かなものにしていた。
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