午前0時の恋人契約
「はぁ?呼べるだろ。呼べ」
「む、無理です!仮の恋人とはいえ課長ですし、上司ですし、年上ですしっ……そんな、名前呼びだなんて……!」
こちらを見る目は怖くて、逆らってはいけない気もする。けど、呼べと言われて気軽に呼べるわけがない。
「へー……ならそこからボロが出て父親にバレて、結局見合いすることになっても構わないんだな?」
「うっ!」
「お前のことだから相手がどんな奴だろうと周りに言われるまま断りきれずに結婚するハメになるんだろうなぁ。あー、大変だなぁ。人生変わるなぁ」
痛いところを的確に突いてくる……!
確かに、恋人同士なら名前で呼ぶのが当たり前。いきなり当日呼べるわけもないし、そういう面の対策も含めてのこの10日間だし……。
万が一お父さんにバレてお見合い話になろうものなら、結果はきっと今彼が言ったとおりのものになってしまうだろう。
けど、呼べない。でも、呼ばなきゃ。
なにより、『早く呼べ』と言わんばかりのその黒い瞳にこれ以上反抗できるわけもない。
「……た、たか、貴人……さん、」
ぎこちなさしか感じられないその呼び名。けれど彼は「よし」と満足げに笑った。
岬課長って……もしかして、ドS?
これまで『怖い』という印象だけだったけれど、度々からかっては嬉しそうな顔をするあたり、そういう性癖の人なのかもしれない。
そんなことを考える私の心など知らず、彼はそっと手を差し出した。
「じゃあ改めて、お互いいい10日間にしよう。よろしく、すみれ」
彼の呼ぶ『すみれ』の名と、握手を求めるその大きな手。
それらが新たな道へ導くものとなるのか、変わらないままのものになるのか、わからないけれど。
「……よろしく、お願いします」
ただ今は目の前にある、彼の導く道を信じていくしかない。
そう心に決め、その手に応えるようにそっと握った。