午前0時の恋人契約
やってきた会社のエントランスを抜ければ、奥にあるエレベーター前にひとつ姿が見える。
「……あ、」
それは、今日は紺色のスーツを着た貴人さんの姿。
降りてくるエレベーターを待つその姿は今日もすらりと細く高く、黒い髪もきっちりとセットされている。
昨日のことを思い出せば、また少し恥ずかしくて、声をかけられず遠目からじっと見つめてしまう。
こちらに気付くことなく立っている彼は、不意に「ふぁ」と大きなあくびをこぼした。
あくびなんて、珍しいかも。眠いのかな?
思えば、毎日夜遅くまで私といて、朝はこの時間からで……ゆっくり休めていないのだろう。
10日間が終わればいつも通り、とはいえそれまでずっとは大変だろうし……そう思うと、サラリーマンをしながらのレンタル彼氏って大変な仕事なんだなぁ。
そうまじまじと見ていると、視線に気配を感じたのか、彼はこちらを振り向いた。
「おう、市原。おはよう」
「おっおはっおはようございます!」
突然ばちっと合った目とかけられた声に咄嗟に普通には振舞えず、思い切り動揺した私にその顔はおかしそうに笑う。
「なにどもってるんだよ。朝から変な奴だな」
ちょうど来たエレベーターに先に乗る彼に続くように乗り込むと、小さな密室のなかふたりきりになる。
カチ、と4階のボタンを押す指先は白く綺麗で、つい奪われる視線。
「大丈夫ですか?お疲れじゃないですか?」
「え?なんだよ、いきなり」
「さっき大きなあくびをされていたので」
気遣いから言った私に、貴人さんは「見られてたか」と少し恥ずかしそうに頭をかく。
はっ、あくびしている姿を人に見られるって恥ずかしいよね。わざわざ言うべきじゃなかったかも……!
余計なことをいってしまったかも、と言ってしまってから気付いた。