【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
毒殺計画
 いずれ秀頼と戦うことも考えれ
ば、戦力を使わない方法を選ぶの
は自然の成り行きだった。
 家康は誰もいない居間で、書物
を見ながら、独り言をつぶやい
た。
「秀詮を備前と美作に国替えして
間もない。領民は前の領主、秀家
を慕うものがまだ多い。行って秀
詮は西軍の裏切り者とふれまわ
り、まずは領民を離反させよ。秀
詮の家臣、平岡頼勝はわしが送り
込んだ者じゃ。連絡をとって城内
に入り、秀詮に毒を盛れ」
 家康の後ろには床の間があり、
掛け軸は家康が三方ヶ原の戦いに
敗れた時に描かせたという頬杖を
ついた絵が掛けてあった。
「その毒を盛れば発狂する。一度
に多く与えてすぐに殺すな。少し
ずつ与えて発狂を長引かせるの
じゃ。そうすれば世間は秀詮が西
軍を裏切り、三成に祟(たた)られ
て狂いだしたと噂を広めてくれ
る。それがもとで死ねば誰もわし
を疑う者はいないだろう。人を裏
切ると祟られると思えば、徳川家
に逆らう者もいなくなる。分かっ
たな、行け」
 家康の後ろにある掛け軸が風も
ないのに揺れた。
 それからすぐ刺客のひとりが平
岡の手引きで岡山城内に入り、料
理番としてしばらくは秀詮の信頼
を得ることに努めた。
 稲葉は新しく入った料理番が以
前に徳川家に仕えていたことは平
岡から知らされていて、なんの疑
いも抱かなかった。そのため料理
番は警戒されることもなく秀詮の
料理を任されるようになった。
 秀詮からも信頼を得た頃、料理
番は秀詮の料理に阿片を少しずつ
混ぜ始めた。
 家康のもとには関ヶ原の合戦で
軍事顧問となったウイリアム・ア
ダムスが三浦按針(あんじん)の
名を与えられて家臣となってい
た。
 按針は家康が薬草に詳しいこと
を知り、当時では珍しかった阿片
が人を狂わせる毒薬だということ
を教えた。そこで家康は密かに阿
片を入手し、刺客に使わせたの
だ。
 この当時、阿片のことは日本で
はまったく知られていなかった。
< 124 / 138 >

この作品をシェア

pagetop