【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
秀詮の最期
玄朔の父は漢方医学の名医、道
三で、玄朔はその道三流医学を継
承し、皇室の医事にもかかわって
いた。
「お加減はどうですかな」
「万事整った。今度は私が死ぬ番
だ」
「そうですか。では手はずどおり
始めさせて頂きます」
「迷惑をかけるがよろしく頼む」
「いえいえ。それより帝は貴方様
にさぞ期待をされております。く
れぐれもお忘れなきように」
この時の帝、後陽成天皇は何も
かも知っていた。
帝は過去、織田信長、豊臣秀吉
と晩年に世が乱れることになり、
今度の徳川家康でも同じように乱
れることを恐れていた。そこで秀
詮が幕府に入り、それを抑制する
ために働いてくれることを期待し
ていたのだ。
「分かっておる。案ずるな」
「では、解毒薬はこれまでどおり
服用してください。すでに末期の
症状が出ている頃合い。一時、激
しく狂ったら後は寝込み、そのま
ま二度と起きることはなりませ
ん。すぐに私の従者を数名遣わ
せ、これらの者以外は貴方様には
近づけません。こちらの準備が整
い次第、葬儀の運びとなります」
「分かった」
秀詮は玄朔の言ったとおり、城
内で着物を乱して刀を振り回し激
しく狂うと、バッタリと寝込ん
だ。するとすぐに玄朔の従者が現
れ、秀詮の寝屋のふすまを全て締
め切り、病が悪化するからと理由
をつけ、家臣の誰も近づけなかっ
た。
それでも秀詮は念のため衰弱し
ていくふりをした。
(これでいい。これで天下を耕す
準備ができる。皆もそれぞれの場
所で芽をだすだろう)
今でも毒薬が効いていると信じ
ていた平岡頼勝は残り、秀詮の最
期を見届け、家康に報告しようと
待っていた。
こうした状況になると家臣の秀
詮に対する憎悪は消え、ほとんど
の家臣が秀詮のもとを離れようと
しなかった。そんな家臣に見守ら
れる中、秀詮の死が告げられた。
三で、玄朔はその道三流医学を継
承し、皇室の医事にもかかわって
いた。
「お加減はどうですかな」
「万事整った。今度は私が死ぬ番
だ」
「そうですか。では手はずどおり
始めさせて頂きます」
「迷惑をかけるがよろしく頼む」
「いえいえ。それより帝は貴方様
にさぞ期待をされております。く
れぐれもお忘れなきように」
この時の帝、後陽成天皇は何も
かも知っていた。
帝は過去、織田信長、豊臣秀吉
と晩年に世が乱れることになり、
今度の徳川家康でも同じように乱
れることを恐れていた。そこで秀
詮が幕府に入り、それを抑制する
ために働いてくれることを期待し
ていたのだ。
「分かっておる。案ずるな」
「では、解毒薬はこれまでどおり
服用してください。すでに末期の
症状が出ている頃合い。一時、激
しく狂ったら後は寝込み、そのま
ま二度と起きることはなりませ
ん。すぐに私の従者を数名遣わ
せ、これらの者以外は貴方様には
近づけません。こちらの準備が整
い次第、葬儀の運びとなります」
「分かった」
秀詮は玄朔の言ったとおり、城
内で着物を乱して刀を振り回し激
しく狂うと、バッタリと寝込ん
だ。するとすぐに玄朔の従者が現
れ、秀詮の寝屋のふすまを全て締
め切り、病が悪化するからと理由
をつけ、家臣の誰も近づけなかっ
た。
それでも秀詮は念のため衰弱し
ていくふりをした。
(これでいい。これで天下を耕す
準備ができる。皆もそれぞれの場
所で芽をだすだろう)
今でも毒薬が効いていると信じ
ていた平岡頼勝は残り、秀詮の最
期を見届け、家康に報告しようと
待っていた。
こうした状況になると家臣の秀
詮に対する憎悪は消え、ほとんど
の家臣が秀詮のもとを離れようと
しなかった。そんな家臣に見守ら
れる中、秀詮の死が告げられた。