【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇

その2

 ねねはてっきり以前から信長に
反抗していた一揆の衆が放火した
と思っていた。だから自分たちに
危険が及ぶことを恐れて総持寺に
避難することを決めたのだ。
 この時、秀吉は備中で毛利軍と
交戦していて留守だった。また他
の信長の家臣も各地に散らばり戦
をしていた。
 日が射す頃には詳しい状況が伝
わり、信長の家臣で唯一近くにい
た明智光秀が信長を襲撃、本能寺
に火を放ったことが分かり、ねね
たちは驚いた。
 光秀といえば信長の家臣の中で
も一番忠誠心があり、信長の信頼
もあつかったからだ。
 知らせによると信長はいまだ行
方知れずで、信長の長男、信忠
は、誠仁親王の御座所、二条御所
に逃げ込んだということだった。
しかし、そのすぐ後には光秀軍が
二条御所を襲撃し、誠仁親王は逃
げ延びたものの信忠は討死したと
伝わった。
 時間がたっても信長の行方は分
からず、自刃したとか逃げ延びて
いるとかの噂で混乱が続いてい
た。
 光秀がこの本能寺の変を起こし
た後の行動は不可解なものだっ
た。
 主君を襲ったにもかかわらず自
刃するでもなく悪びれた様子はな
い。何かの志があって謀反を企て
たのなら事前に政権奪取の根回し
をしているはずだが、襲撃後に上
洛して朝廷工作をしたり、諸大名
に協力を求めるなど何の計画性も
なかった。そんな光秀に賛同する
者がいるはずもなく、不安定な政
治体制を見透かすかのように各地
で一揆など不穏な動きが起き始め
た。
 本能寺の変が起きた時、近くの
堺にいた信長と同盟関係にある徳
川家康は茶会に招かれていたので
数人の従者しかおらず、光秀を討
ち取り天下をものにする絶好の機
会を失い、逃げ帰るのがやっと
だった。
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