【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
 ねねは辰之助が一歳で言葉を話
し始めるようになると何かと信長
の話を言い聞かせた。そして千宗
易にも手伝わせていた。宗易は信
長の茶頭としての立場上、他の者
が知らない信長の私生活を知るこ
とができたからだ。
 辰之助はおとぎ話を聞かされる
ように信長の英雄物語を聞かさ
れ、その話が面白くどんどん吸収
していった。
 秀吉もこのことは当然知ってい
たのだが、まさか三歳で謡曲を謡
いこなせるようになるとは思って
いなかった。
 城内では一気に信長が転生した
子が現れたという噂が広まった。
 チベット仏教にはダライ・ラマ
のような活仏がいて、その活仏が
亡くなるとその直後に生まれた赤
子に転生するという観念がある。
その赤子はどこにいるのか分から
ないのだが、必ず探し出せるとい
う。しかし辰之助は信長が亡くな
る前に生まれている。そこで秀吉
は不幸にして亡くなると霊魂がさ
迷い、すでに生まれていた赤子に
も転生するという無理な解釈を押
し通すことにした。魔王とあだ名
された信長ならそんなこともある
だろうと説得力があった。しかし
秀吉はこのことは城外にもらして
はならないとあえて命じた。

 尾張、蟹江城は織田信雄に味方
する佐久間正勝の居城で信雄の居
城、清洲城から西南のそう遠くな
い場所にあり、伊勢湾にも近かっ
た。そこで秀吉は伊勢の長島城に
いた滝川一益に海から尾張を攻め
るように命じた。
 一益は天下取りをあきらめ秀吉
に味方して以来、いつ隠遁するか
を考えていた。戦国の世では武勲
のある者が安易に身を引こうとす
れば敵意があると疑われ、殺され
かねない。それを避けるには戦う
力がなくなったことを示す必要が
あった。
 この時とばかりに一益は鉄甲船
で名高い強力な水軍を率いる九鬼
嘉隆を伴って兵七百人で軍船に
乗った。
< 21 / 138 >

この作品をシェア

pagetop