【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
黄金の茶室
 八月になると秀吉は越中の佐々
成政を討伐するために出陣した。
すると成政は織田信雄に仲裁役を
頼み、富山城を明け渡して秀吉の
もとに投降するというあっけない
幕切れだった。
 凱旋した秀吉は朝廷より豊臣姓
を賜り、この機会に側近へ日ごろ
の労をねぎらうため、石田三成、
増田長盛、大谷吉継、千宗易、施
薬院全宗、今井宗久、今井宗薫ら
を伴って摂津、有馬の温泉で湯治
した。また、十月になると秀吉は
宗易を伴い正親町天皇に茶の湯を
献上するなど戦を離れて朝廷との
つながりを深めた。
 宗易はこの時、正親町天皇より
利休という居士号を賜った。これ
は秀吉と同じく町人からの大出世
だった。
 秀吉は関白になったことを大々
的に宣伝するために利休に命じて
黄金の茶室を造らせた。
 黄金の茶室は組み立て式で床の
間付きの三畳。その天井、壁、
柱、障子の桟にいたるまで全て黄
金であつらえてあった。また茶器
なども全て黄金でそろえさせた。
 組み立て式でどこにでも運べる
という発想は、秀吉が信長の家臣
だった時代に墨俣一夜城のように
あらかじめ部材をある程度組み立
てて運び短期間で築城した経験を
もとにしていた。
 大坂城の天守閣に組み立てられ
た黄金の茶室はすぐに話題とな
り、天下人、秀吉の名を不動のも
のにした。しかし利休はこれとは
対照的に質素のなかに美を見出そ
うとした。それを「侘び茶」と称
し力を注ぐようになった。
 秀吉にしても利休にしても茶の
湯を自らの栄達に利用しようとし
たことにはかわりはなかった。
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