【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
信長の二の舞
 家康は複雑な思いだった。秀吉
が天下を取ったことは認めざるお
えないが、これでは信長の二の舞
になるのではないかと懸念したの
だ。思えば信長が安土城を築城し
た時から天が見放したような。何
か起きた時、秀吉の家臣では不利
になるのではないかと考えをめぐ
らせていた。
 対照的に秀吉は満足げな顔をし
ていた。この大邸宅なら必ず公家
たちは集まる。それらを手なずけ
れば帝さえも意のままにできる。
そう思うと自然と笑いがこみあげ
てくる。その喜びを打ち消すかの
ように九月に入ると九州、肥後で
一揆が起こった。
 秀吉は九州平定を報告した朝廷
に知られないうちに解決しよう
と、すぐに肥前の鍋島直茂を一揆
鎮圧に向かわせた。
 この一揆は秀吉のキリシタン禁
止令に反発していた領民と、この
頃から始められていた検地によっ
て地位を失った旧領主の不満が噴
出して起きたものだったが、秀吉
は肥後の佐々成政による失政が原
因で起きたと責任を転嫁した。
 こうした不吉な事件が起きる
中、秀吉は聚楽第へ転居すること
になった。
 秀吉は九州で起きた一揆の影響
で公家たちの信頼を失うかもしれ
ないと心配したが、幸いにして大
勢の公家たちが豪華絢爛な大邸宅
を一目見ようと祝いを兼ねて集
まって来た。それに気をよくした
秀吉はさらに公家たちの心を引き
付けようと京、北野天満宮で大茶
会を催した。
 拝殿の近くには秀吉自慢の組み
立て式黄金の茶室が設置され、名
だたる茶器も並べられた。その側
には千利休、津田宗及ら茶人の茶
室もあった。また、庶民の参加も
許されたためそれらの茶室が早朝
から建ち始め、その数が千棟を超
えて茶の湯人気の広がりを物語っ
ていた。
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