【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
清洲会議
 秀吉には落ち着く間もなく一世
一代の大勝負が待っていた。
 織田家の今後を決める話し合い
が尾張の清洲城であるため信長の
家臣が集まった。
 信長の子には長男・信忠、次
男・信雄、三男・信孝、そして秀
吉の養子となっている四男・秀勝
がいた。
 長男・信忠は本能寺の変が起き
た時、二条御所で戦ったが敗れて
自刃した。
 次男・信雄は本能寺の変後、安
土城を焼いたなどと噂されるほど
素行が悪く後継候補からはずされ
た。
 三男・信孝は本能寺の変が起き
た時、秀吉と合流して戦った。そ
こで家臣の中で最有力者の柴田勝
家が後継者として擁立した。
 秀吉は養子の四男・秀勝を後継
者には選ばず、自刃した長男・信
忠の嫡男、三法師を擁立した。
 他の家臣は権力争いに後込みを
していた。それは、まだ天下統一
が半ばで、敵対する島津、北条な
ど各地に手ごわい武将が残ってい
たからだ。それらを屈服させるに
は信長並みの能力をもってしても
難しい。それに民衆はこれまでの
戦続きで武家に反感を持ち、一揆
が続発することは避けられない。
それで今すぐ手を上げるのは得策
ではないと考えていた。    
 滝川一益などは権力争いに巻き
込まれるのを避けるため関東地方
へ出陣するという名目で欠席して
いた。
 誰も手を上げないのを見越して
秀吉が三法師を擁立して名乗りで
たのだ。
 秀吉にはこの機会を逃したら出
世の望みはない。それどころか元
の百姓に逆戻りする可能性さえ
あった。この時代、有能な人材を
身分に関係なく取り立てることが
できたのは信長だけだったから
だ。
 三法師が後継者になることに誰
も異論はなかった。しかし、勝家
があえて後継者に選ばれるはずも
ない信孝を擁立したのは、百姓出
の秀吉が権力をすんなり握ること
に武家として許せず、発言権を失
うことを恐れたからだ。
 結局、三法師が信長の直系だと
して支持され、秀吉は光秀を破っ
た功績と民衆の人気を背景に、一
揆などの反乱が避けられるのでは
ないかという一同の目論見もあっ
て、後見人におさまった。そして
秀吉は千宗易を信長から引き継い
だ。
< 4 / 138 >

この作品をシェア

pagetop