【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
鶴松丸
 秀吉は最近、政務のことは秀長
や秀次に任せることが多くなり、
茶々のもとにかいがいしく通っ
た。それでも肥後の一揆は相当こ
たえたとみえて、百姓から武器を
取り上げることを狙った刀狩令を
発した。
 一揆の頻発が武器を取り上げる
大義名分となり秀吉人気もあっ
て、かつて誰もなしえなかった非
武装社会の実現が芽生えていた。

 天正十七年(一五八九年)
 秀吉の側室になった茶々には
京、山城の淀城があてがわれてい
た。そのため茶々は「淀殿」と呼
ばれるようになっていた。淀が側
室の中でも別格に扱われていたの
は身ごもっていたからだ。
 五十三歳にして子を授かった秀
吉は狂喜乱舞した。対照的にこれ
を知った秀次は力をなくした。養
子の秀俊を後継者にすると宣言し
た時とは違い、今度は嫡子だ。秀
吉が生まれた子を後継者にすると
言い出せば誰も異論を挟むことは
できない。しかしまだ男子と決
まったわけではないと平静を装っ
た。
 秀吉はすでに嫡男が生まれると
信じ、先に秀俊を後継者にすると
宣言したことをあっさりと撤回し
た。そして秀俊には丹波亀山十万
石を与えることで治めた。もとも
と誰も賛同していなかったので、
このことで混乱はなかったが、秀
次に付き従っている家臣はこの先
どうなるのか不安がよぎり、生ま
れてくる子が男か女かで気をもん
でいた。
 天下が息をひそめて見守る中、
淀は男子を生み、鶴松丸と名づけ
られた。
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