【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
大政所の死
 日本軍は次々に部隊が上陸し、
朝鮮の国王がいる都、漢城を目指
した。
 軍船は往きに将兵と兵糧を運び
帰りは戦利品と捕虜を運んだ。
 名護屋の港には大量の書物や陶
器、武器などの戦利品と学者、職
人、農民など捕虜の上陸でしだい
に慌しくなっていった。それらを
選別するために朝鮮の言葉が分か
る僧侶が集まり、惺窩と弟子の賀
古宗隆らも筆談でやり取りして加
わった。
 朝鮮に侵攻した部隊は国王を逃
がしたものの、五月初めにはすで
に漢城を攻略していた。
 これに気を良くした秀吉はもう
明まで征服したつもりになり、明
の関白に秀次を任命し後陽成天皇
を北京に移すなどと決めていた。
そして自らも朝鮮へ渡る準備をし
た。しかし秀吉の母である大政所
が病気という知らせがあり、秀吉
の朝鮮行きは延期となった。
 秀吉は加藤清正、鍋島直茂に朝
鮮の拠点となる城の築城を命じ、
毛利輝元には明への侵攻を命じ
た。
 七月二十二日
 秀吉のもとに大政所が危篤とい
う知らせがあり、すぐに京に戻っ
たが着いたときにはすでに死去し
ていた。老いていたとはいえ、鶴
松丸に次ぐ凶事に落胆の色は隠せ
なかった。
 大政所の葬儀は秀吉の名代とし
て秀次が執り行った。
 秀吉は八月になると京、伏見に
自らの隠居所となる邸宅の建築を
命じるほど朝鮮を征服する意欲を
失っていた。そうした秀吉を慰め
たのは淀だった。鶴松丸の死を乗
り越えて明るく振る舞い自分を元
気づけようとする淀を秀吉は愛し
く思い、やがて気力を取り戻し
た。
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