【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
亀甲船
 朝鮮の日本軍は漢城に集結する
と秀吉からの命令が一時途絶えた
こともあり軍議をおこなった。そ
の結果、各部隊は分散して侵攻す
ることになった。

 平安道、一番隊、
  小西行長、宗義智、
  松浦鎮信、有馬晴信、
  大村喜前、五島純玄
 咸鏡道、二番隊、
  加藤清正、鍋島直茂、
  相良頼房
 黄海道、三番隊、
  黒田長政、大友吉統
 江原道、四番隊、
  毛利吉成、島津義弘、
  伊東祐兵、島津忠豊
 忠清道、五番隊、
  福島正則、長宗我部元親、
  蜂須賀家政、生駒親生、
  来島通之
 全羅道、六番隊、
  小早川隆景、小早川秀包、
  立花宗茂
 慶尚道、七番隊、
  毛利輝元
 京畿道、八番隊、
  宇喜多秀家

 再び侵攻を開始した各部隊は朝
鮮全土を次々に制圧して行った。
しかしそれがもとで補給路が広範
囲になり、兵糧の確保が難しく
なった。それでも清正の部隊は朝
鮮の王子二人を捕らえ明にまで
迫った。
 やがて日本軍の侵攻が鈍り始め
た。これを待っていたかのように
朝鮮側では各地で正規軍には属さ
ない義兵が組織され攻勢に出た。
 海上でも朝鮮の李舜臣が率いる
水軍が態勢を整えて反撃を開始
し、藤堂高虎、脇坂安治、九鬼嘉
隆らの率いる水軍を次々に撃破し
ていった。
 朝鮮の主力として現れた軍船は
亀甲船と呼ばれる亀の甲らのよう
な湾曲した鉄で覆われているうえ
槍のような突起があり、天宇銃
筒、地字銃筒、玄字銃筒などと呼
ばれる大砲を十四門も装備してい
た。これに対する日本の軍船はほ
とんどが木造船で数隻は鉄板で
覆った鉄甲船があったが、それに
は大筒程度の威力しかない大砲が
船首に三門しか搭載されていな
かった。また不慣れな海域だった
こともあり逃げるのが精一杯だっ
た。そこで日本軍は朝鮮水軍の拠
点としている港を陸上から攻撃す
ることにした。これにより朝鮮水
軍の出撃回数は減っていった。
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