【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
老化の兆候
 文禄三年(一五九四年)
 秀吉は正月明けにいきなり、朝
鮮に出兵しなかった諸大名に京、
伏見の指月山に伏見城を築城する
ように命じた。
 秀次はこの越権行為に関白の座
を失うのではないかと不安がよ
ぎった。それでも秀次は好意的に
受け取り、秀吉が朝鮮に出兵した
諸大名の不満を解消するために
色々考えていたのだと思うことに
した。そして秀吉の側を離れず打
ち解けるように努めた。
 二月になると秀吉は秀次や公
家、諸大名を伴って大和、吉野山
で花見を催し、茶会や歌会で昔に
戻って楽しんだ。この時、十三歳
になった秀俊も呼ばれ和歌を詠ん
だ。

 芳野山木ずゑをわたる春風も
  ちらさぬ花をいかで手をらん

 君か代はただしかりけりみよし
のゝ
  花におとせぬ峯の松かぜ

 秀俊は身の回りが変化している
ことを肌で感じていた。
 秀吉は四月に入るとすぐ、京の
前田利家の邸宅を訪ねた。利家も
家康と同じく朝鮮出兵を免除され
ていた。
 二人は同じ時代を生き抜いてき
たことを懐かしく話し、お互いの
労をねぎらった。そして秀吉は利
家に捨丸の後見人になって欲しい
と懇願した。利家は秀吉より一つ
年下で自分も高齢であることを理
由に断ったが、秀吉に押し切ら
れ、自分が死んだ後は嫡男の利長
が跡を引き継ぐことを条件に承諾
した。これにほっとしたのか秀吉
は数日後、小便を漏らすという老
化の兆候がみられるようになっ
た。
 死期を悟った秀吉は悩んでいた
秀俊の処遇を急ぐことにした。
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