【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
 日本には捕虜となって連れてこ
られた朝鮮人たちが才能を発揮し
て儒学や印刷、陶磁器を発展させ
ている。朝鮮では投降した日本兵
が鉄砲を使った戦闘方法を教えて
協力し合っている。だからいつか
協力しあえる日が来ると信じてい
た。
 秀秋は総大将の権限として秀吉
の指示を認めず、諸大名には現状
維持を命じた。そして自ら体力維
持のためにと開墾を手伝った。そ
れから馬を走らせて諸城の修繕を
視察して回った。
 諸大名は秀秋の考えを理解でき
たがそれよりも秀吉の逆鱗に触れ
るのが怖かった。秀次の妻子が殺
されたように、秀吉に逆らえば日
本に残した自分たちの妻子も殺さ
れるという心配があったのだ。
 しばらくすると秀吉は秀秋を見
限り、自ら命令を発するように
なった。
 秀秋を除く日本軍は二つに分け
られた。
 全羅道方面軍
  大将、宇喜田秀家
     島津義弘、忠恒の父子
     小西行長、藤堂高虎、
     蜂須賀家政など

 慶尚道方面軍
  大将、毛利秀元
     吉川広家、安国寺恵瓊
     加藤清正、鍋島直茂、
     勝茂の父子、黒田長政
 このどちらの方面軍も忠清道を
目指すことになった。
 こうして文禄の朝鮮侵攻と同じ
過ちを繰り返す軍事行動が開始さ
れた。ただ一つ違っていたのは侵
攻する先々で皆殺しにしていくと
いうものだった。
 秀吉は朝鮮の日本化を考えてい
た。そのため日本に恨みを抱くよ
うな者はひとり残らず殺すことに
した。
「平家を思い出せ。豊臣の世を平
家の二の舞にするな」
 誰も信用できなくなっていた秀
吉は、殺したという証拠に耳や鼻
をそぎ落とした後、塩漬けにして
日本に送ることを要求した。
 最初はちゅうちょしていた将兵
もしだいに慣れてくると耳や鼻を
集めることが目的となり、その数
を競うようになった。そのため生
きたまま耳や鼻をそぎ落とされた
朝鮮人もいた。
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