【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
蔚山城
秀吉の要望どおり日本軍は侵攻
を続け慶尚道、全羅道、忠清道を
掌握した。するとやはり兵糧の確
保が難しくなり、明軍の参戦や冬
が近づいたことで侵攻は止まり、
反撃を阻止するための築城に専念
することになった。
加藤清正は蔚山(ウルサン)に
縄張りし、毛利秀元、浅野幸長ら
が中心となって築城を開始した。
動員した兵一万六千人が二ヶ月余
りという短期間で蔚山城を完成さ
せた。そのため強固な城壁はあっ
たが丸太がむきだしの荒々しい砦
といった感じだった。ただし城に
は明から奪い取った大砲が十六
門、配備されていた。
この蔚山城が完成すると幸長の
部隊が駐屯し清正、秀元の部隊は
兵糧などを調達するため退去し
た。その機会をうかがっていた
明・朝鮮連合軍がどっと攻め寄せ
てきた。
知らせを聞いた清正はすぐに救
援に駆けつけ夜陰にまぎれて城に
入った。この時、籠城する日本軍
の兵三千人に対して明・朝鮮連合
軍は兵六万人の大軍が集結した。
明・朝鮮連合軍は何度か城の攻
撃を試みたが、籠城兵が大砲を撃
ち、その威力を知っていたため近
づくことができず落城させられな
かった。そのうち城に水や食糧が
乏しいと分かると城を完全に包囲
し兵糧攻めにでた。
次第に城内は何もない寒々とし
た山小屋のような場所と化して
いった。
凍える手に息を吹きかけて体を
丸めていた日本軍の兵士がばたっ
と倒れて石像のようにもう二度と
動くことはなかった。その顔はや
せ衰え無精ひげを伸ばし、死して
もなお目をぎらつかせていた。
意識がもうろうとした兵士が、
はいつくばって窓に近づき外の様
子をうかがった。
城の外には明・朝鮮連合軍の将
兵らが攻城兵器を準備し総攻撃の
戦闘態勢を整えるため、あわただ
しく働いていた。
城の最上階にある座敷の一角
に、どっしりと座って微動だにし
ない加藤清正。その顔はやつれ、
髭が伸びてはいるが、武人の風格
はかろうじて保っていた。
時折吹いてくる風が攻撃ででき
た隙間から入りこみ、清正の髭を
揺らした。
を続け慶尚道、全羅道、忠清道を
掌握した。するとやはり兵糧の確
保が難しくなり、明軍の参戦や冬
が近づいたことで侵攻は止まり、
反撃を阻止するための築城に専念
することになった。
加藤清正は蔚山(ウルサン)に
縄張りし、毛利秀元、浅野幸長ら
が中心となって築城を開始した。
動員した兵一万六千人が二ヶ月余
りという短期間で蔚山城を完成さ
せた。そのため強固な城壁はあっ
たが丸太がむきだしの荒々しい砦
といった感じだった。ただし城に
は明から奪い取った大砲が十六
門、配備されていた。
この蔚山城が完成すると幸長の
部隊が駐屯し清正、秀元の部隊は
兵糧などを調達するため退去し
た。その機会をうかがっていた
明・朝鮮連合軍がどっと攻め寄せ
てきた。
知らせを聞いた清正はすぐに救
援に駆けつけ夜陰にまぎれて城に
入った。この時、籠城する日本軍
の兵三千人に対して明・朝鮮連合
軍は兵六万人の大軍が集結した。
明・朝鮮連合軍は何度か城の攻
撃を試みたが、籠城兵が大砲を撃
ち、その威力を知っていたため近
づくことができず落城させられな
かった。そのうち城に水や食糧が
乏しいと分かると城を完全に包囲
し兵糧攻めにでた。
次第に城内は何もない寒々とし
た山小屋のような場所と化して
いった。
凍える手に息を吹きかけて体を
丸めていた日本軍の兵士がばたっ
と倒れて石像のようにもう二度と
動くことはなかった。その顔はや
せ衰え無精ひげを伸ばし、死して
もなお目をぎらつかせていた。
意識がもうろうとした兵士が、
はいつくばって窓に近づき外の様
子をうかがった。
城の外には明・朝鮮連合軍の将
兵らが攻城兵器を準備し総攻撃の
戦闘態勢を整えるため、あわただ
しく働いていた。
城の最上階にある座敷の一角
に、どっしりと座って微動だにし
ない加藤清正。その顔はやつれ、
髭が伸びてはいるが、武人の風格
はかろうじて保っていた。
時折吹いてくる風が攻撃ででき
た隙間から入りこみ、清正の髭を
揺らした。