【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
秀秋の出陣
 城を包囲した明・朝鮮連合軍の
あわただしくなっていく様子に清
正のもとへ集まった兵卒らがざわ
つく。
「うろたえるな。助けは必ずやっ
て来る」
 清正の勇ましい言葉にも、腹を
すかせて凍えていては一時しかも
たない。それは清正にしても同じ
ことだった。
 兵卒らは城の外を恨めしそうに
眺めて、援軍の到着するのを今か
今かと待ち望んでいた。
 実はその頃、すでに別の日本軍
は救援に駆けつけていたのだ。し
かし、人質状態になっているのが
明、朝鮮にも名を轟かせた清正で
はうかつに突撃できなかった。
 清正は日本にとっては武士の鏡
であり英雄だった。そのため日本
軍はなんとか無事に助け出そうと
手立てを慎重に検討していたの
だ。
 この頃、秀秋は石田三成から帰
還するように再三、書状を送りつ
けられていたが引き延ばしてい
た。そこに蔚山城が包囲されたと
いう知らせが入った。
 秀秋は救援部隊が向かっている
と聞いていたので解決の報告を
待って日本に帰ることにした。
 もう本格的な冬が始まってい
た。

 慶長三年(一五九八年)一月
 年が明けても蔚山城の包囲は解
けなかった。
 これには秀秋よりも小早川家の
元家臣たちがイライラしていた。
(大殿なら見殺しにはしない)
(われらは何のためにここまで来
たんだ)
 それは未熟な秀秋に対する不満
でもあった。しかし秀秋はこの時
を待っていた。
 戦うためにはそれなりの覚悟が
いる。死ぬかもしれないという不
安があれば必ず負ける。だから大
義名分があり、やる気にさせるこ
とが必要なのだ。
 秀秋は出陣を決めた。
 山口宗永が強く引きとめたが、
「われらが着いた頃にはすでに清
正殿らは救出されているだろう」
と秀秋は説得した。それに部隊の
準備は始まっていた。その誰の顔
にも清正らを救出するというやる
気がみなぎっていた。
 部隊には文禄の朝鮮出兵に参加
した小早川家の元家臣を中心に豊
臣家の元家臣も加わり、兵六千人
で組織された。
 釜山浦城の留守を宗永と残りの
家臣に任せて秀秋は出陣した。
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