【長編】戦(イクサ)小早川秀秋篇
大谷吉継
 恵瓊の使者は三成に会った後、
越前、敦賀の大谷吉継を訪ねた。
 この頃、吉継は病に侵され失明
に近い状態だった。
 使者から話を聞いた吉継は承知
したとだけ言って使者を帰した。
そして吉継の目の代わりをしてい
た湯浅五郎を伴い大坂城にいる家
康を度々訪ねるようになり忠節を
尽くした。
 家康は最初、吉継に疑いの目を
向けていた。 かつて秀吉は三成
と吉継を三国志に登場する蜀の劉
備玄徳に仕えた二人の軍師、諸葛
孔明とホウ統士元に重ね合わせ
「伏竜、鳳雛」と称していたほど
二人は知略に長け仲も良かったか
らだ。
 家康の家臣たちもそれを知って
いたので吉継をののしり、あざ
笑った。
「伏竜を見限る鳳雛が殿の役に立
とうなどと。何を企んでおるのや
ら」
「なにが鳳雛じゃ。目が見えんと
空も飛べまい」
「雛じゃからもともと飛べんよ。
ははは」
 吉継はそれに怒ることもなく家
康の政務を手伝いどの家臣よりも
すばやく処理した。
「さすがは鳳雛と称されたことは
ある」
 家康のこの一言で家臣たちも吉
継を認めざるおえなかった。

 同年三月二十九日
 家康が肥前、長崎に向かわせた
帆掛舟に乗ってアダムスら六人が
和泉の堺湊に着き、その後、大坂
城で家康に謁見した。この時、家
康はアダムスらの身を守り、また
情報漏れを防ぐ目的で入牢させ
た。
 アダムスは航海士という船には
必要な乗組員を装い、着く島々で
植民地になりそうな候補地を選ぶ
役目をおっていた。偶然、漂着し
た日本だが出会った日本人を見る
限り植民地の候補になると考えて
いた。
 しばらくして大量の武器を積ん
だリーフデ号も相模の浦賀湊に回
航された。
 家康はアダムスと通訳のポルト
ガル人のイエズス会宣教師を伴っ
てリーフデ号に乗り込み、配備さ
れた大砲の性能や造船技術などの
説明を聞いた。大砲について家康
は朝鮮出兵で明が大砲を使ってい
たことは聞いて知ってはいたが実
物を見たことはなかった。それが
手に入り、こちらのほうが明のも
のより性能が良い大砲だと聞いて
有頂天になっていた。その挙句に
氏素性の分からないアダムスを軍
事顧問にしてしまった。
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