課長と私

お母さんがお風呂に入ってまもなく、先輩の食事も終わった。
久しぶりに2人きりなのに、今日は長く一緒にいられなくて残念だ。


「じゃあ俺は帰るね。お母さんにもよろしく。」

「…はい。今日はありがとうございました。いろいろと、ごめんなさい。」

「全然気にしてないよ。…お母さんの方には気に入ってもらえて良かった。」

「あはは…。あんなこと、言われたの初めてだったから驚きましたよ…」

髪をぐしゃぐしゃと掻く。

「ん?…いつも思ってるよ。楓ちゃんがいないと、俺の生活はまわらないって。」

「ま、またそんな…大袈裟ですって。」

胸の前で両手を振る。


「あれ…そういえば楓ちゃん、何か話があるんだっけ…?」

「あっ」

「何?」

「…あの、亮くんの家に行ってなかった時期、のことなんですけど…」


すっかり忘れていた…


「浮気してた?」

「うっ浮気じゃないです!!」


違う、あれは違う…断じて浮気じゃない…
ちょっと察しが良いの怖すぎる

急に黙る彼を見てドキリとする。


「あの…私、藤崎と1度飲みに行った後ホテルに」

「ホテル?」


目の色が変わった。


「な、何も無かった…ですから…」

「……本当?」

「ちょっ…ちょっとだけ…触られましたが…それ以上は特に」

「触った?どこを?」


じりじりと不機嫌な顔のまま距離を詰めてくる。
さっきまでニコニコしていた顔は一体どこへ…


「どこを?」

「りょ、亮くん近いです…あの…」

「言わないなら端から触っていくからね。」

「…うっ」


後ろは壁だ。
これ以上下がれない。


「ま、待って」


前髪からキスが落ちていく。
こめかみ、おでこ、瞼、鼻、頬、耳へ


「まさかとは思うけど、ここじゃないよね」


親指で唇をなぞる。
至近距離でさえドキドキしているのに仕草が色っぽすぎる。


「ち…違います、もう…やめましょ、亮くん…」

「嫌です」

「りょぅ」


グイっと顎を持ち上げられて塞がれた。
間もなく舌が入ってくる。


「んぅ」

「息して…」

「んっ…っは、ん」


な、長い…
唇の端から垂れる唾液を丁寧に指で拭う。


「はぁ…ぅ…」

「……反省してる?」

「…はぁ…っ……し、してます、ごめんなさい」

「今回のは…俺の不甲斐なさがあったから水に流す……嫌だけど…今後は本当にダメ、そういうことしたら怒るよ。」


怒るよ、と言っているのに少ししょんぼりしたような表情で、私はニヤニヤしてしまいそうだった。


「ごめんなさい…もう絶対にしません。……亮くんも浮気はだめ、ですよ?」

「俺は余裕でしない。」

「亮くんは…モテるから心配なんですけど…」

「ヤキモチ焼きの夫なので、って言うから安心して。」


そう言って彼は私の頭にポンと手を置く。
ほんのりと残る先輩の香りのおかげで大分落ち着いてきた。

彼がお母さんに会うまでは、そわそわしていた自分が懐かしいくらいだ。

玄関に行き、大きな靴に足を通す。
一瞬しゃがんだ体が立ち上がると一気に身長が伸びたように感じた。


「じゃあ…今度こそ本当に…お母さんによろしく言っておいてね。」

「はい。…気を付けてくださいね。」

「おやすみ、楓」

「おやすみなさい。」


彼が帰ったその後、お母さんとは他愛のない話をして、ちょっとだけ彼とのことも話した。
細かいところは追々だ。

彼とあれほど長いキスをした後に平然と寝られる強いメンタルは持ち合わせていない。
心臓がバクバクして眠れなかった。

とりあえず、彼のことを気に入ってもらえているところは良かった…
一歩前進、でいいのかな?

新聞配達のバイクの音が聞こえる時間、ようやく私は深い眠りについた。
< 127 / 263 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop