課長と私

「楓…!!」


少し遠くから、聞きなれた声。
その声は誰かは分かっているのに、うまく顔があげられない。

すぐに声の主が近くまで来る。


「…探した。」


肩で息をしている。
私の姿を必死で探してくれていたらしい。

顔は、見れない。


「ごっごめんなさっ…」


すっかり目に溜まっていた大きな粒が流れていく。


「どうしたの?」

「あ、いや……すいません…」

「楓?」


先輩は、大切な話のときは必ず私のことを“楓”と呼び捨てで呼ぶ。
私のことを、大切に思ってくれている証拠だ。


「少し顔色悪いね…あっち行こうか…。」

「はい……」


ベンチのあるコーナーに連れて行ってくれる。
ふらつかないように肩を持ってくれているのも私の胸を苦しめる。

優しさがチクチクと針のように胸を刺していく。


席に座って、先輩が近くの自販機で買ってきてくれた水を飲んだ。
人ごみに酔っていたのは徐々に回復してきている。


「気分は良くなった?」

「はい。…すいません、人ごみに酔っちゃったみたいで…。」

「うん。」

「迷子になるところでした…あはは…。」


力のない笑顔のまま、ようやく顔を見ることができた。
朝の不機嫌な顔はもう無く、ひどく心配しているような、そんな顔。


「泣いてたのは、人ごみに酔ったからじゃないでしょ?」


優しい問いにまた目頭が熱くなる。
やっと引っ込んだと思ったのに…
< 36 / 263 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop