その唇に魔法をかけて、
 藤堂は不思議な男だった。

 表情を窺っても一体なにを考えているのか、感情さえ読み取れない時がある。それはわざと藤堂が隠しているのかもしれないが、まるでそれは深い海の底のようだった。

「いっけない! 中休み前にお客様のお部屋の掃除があったんだ!」

 腕時計に目をやると、中休み終了まで十分足らずになっていた。慌てていると藤堂がやんわりと微笑んだ。

「それは急がないといけませんね。私はもう少しここにいます」

「すみません、せっかく連れてきて頂いたのに慌ただしくて」

 ぺこりと頭を下げると、砂浜を踏みしめながら急いで黎明館へ向かった。

 そんな美貴の背中を、藤堂は見送るように目を細めて見つめていた。

「君にとって響也との思い出は大切なもの……?」

 穏やかな波の音が、藤堂の切ないつぶやきを呑み込むようにゆっくりとかき消すと、無邪気な子どもの笑い声だけがいつまでも響き渡っていた。
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