その唇に魔法をかけて、
「なぁ、お前はいずれ東京に帰るんだろ?」

「え……?」

 あまりにも唐突な質問に目を点にして言葉を失う。

 いつかは東京へ帰る。そんなこと考えもしていなかった。答えのない質問に戸惑う。

「それは……」

 今までがむしゃらに仕事をしているうちに、自分の中で黎明館が全てになっていた。ここでの就労期間は一年。そんなこと、すっかり忘れていた。

「先のことはわかりません……」

 東京に帰るとも帰らないとも言えず、曖昧な返事しかできなかった。

「でも、ここでお世話になっている以上は一生懸命やっていきたいって思ってます。それに、花城さんがいなかったら私、きっと東京に帰ってたと思います。花城さんってなんでもできるし、見習わなきゃって――」

「それは買い被りすぎだな」

 夢中で喋っていた言葉を遮られて思わず口を噤んだ。なぜなら、花城は笑顔もなくただ冷めた表情で一点をじっと見つめていたからだ。まるで何かに戸惑っているような困惑しているような、そんな様子が窺える。
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