その唇に魔法をかけて、
 走る車の車内では、静かに演歌が流れていた。

 隣に座っている浅黒の男性は六十近くには見えたが、若々しく背筋もしゃんとしてまだかっこいいという言葉が似合う人だった。美貴に話しかけることもなく、なにやらスマホをいじっているが、なんとなく一歩間違えれば裏の社会の人のようにも見えてくる。

 ミラー越しに運転手の表情をちらちらと垣間見てみる。まるで能面のように一寸たりとも表情を崩さない。感情を読み取れない彼に、ますます猜疑心を煽られた。

(もしかしてこのまま山奥に連れ込まれて……)

(誘拐事件になっちゃったらどうしよう……!?)

 考えれば考えるほど悪い方向にしか思考が向かない。この辺りは海もあるし山もある。街から離れれば人通りもなくなる。助けを呼んでも、誰も気が付かないということだ。

(やっぱり怖い……!)

 沸き起こる不安を抑えきれなくなり、ついに腰を浮かせて口を開いた。

「あ、あの! やぱり私、ここで降ります」

「え? こんな山の中で?」

 突然言い出した美貴に、浅黒の男が驚いてスマホから視線をあげた。サングラスで隠れた目は、何を考えているのかわからない。

「バスの通り道だし、ここをずっと歩いていけば黎明館にたどり着けるので」

 すると、浅黒の男が困ったような顔をして困惑し始めた。

「オーウ! そうか! 自己紹介がまだだったな。だから警戒していたんだろう? はっはっは! 気の抜けないお嬢さんだね、私の名前は花城龍也だ。黎明館の元総支配人で今は会長をやっている」

「……へ? は、なしろ?」
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