その唇に魔法をかけて、
 どこかでその名前を聞いたことがある。それに、もうひとり同じ名字を知っている。それは黎明館の現総支配人であり想い人だ。

「なんだ、私が黎明館に来ることをまだ知らなかったのかい? 総支配人の花城響也は私の愚息だ。元気でやってるかな? いやぁ、実は今朝ね、台湾から帰国してきたばかりで、近いうちに行くとは言っておいたが連絡できなくてねぇ。いつもすかしたあいつの驚いた顔を見るのも面白いかもしれんな、あっはっは」

 龍也は膝を叩きながら豪快に笑うと、今まで沈黙を守ってきた運転手が口を開いた。

「いくら身内でも、突然の訪問はよろしくないと散々申し上げたのですが……すみません」

「そんなことはないぞ? 響也も誠一もかえでもみんなそろってハグしてやらなきゃな、ところでお嬢さんのお名前をまだ伺っていなかったな。よかったら教えてくれるかい?」

 新手の誘拐犯かもと疑ってかかった自分が恥ずかしかった。車も高級車で一千万はくだらない。父親と同じ車種の外車だったからわかった。それに、龍也の身につけている時計はダイヤが散りばめられており、おそらく数百万はする代物だ。それらの上等品を身に着けているならば、身代金目的の誘拐はおかしい。

「申し遅れました。私、深川美貴と申します」

「え? 深川?」

 すると、龍也は初めてサングラスをちらっと下にずらし、二重まぶたのくっきりとした瞳を覗かせた。
 
< 189 / 314 >

この作品をシェア

pagetop