…だけど、どうしても

「だから、花乃が男の人を連れてきたなんて聞いて、驚いたけど、今回も夫があれだけ怒って禁じれば、あなたとの関係もじきに終わりにするだろうと思ったのよ。でもその気配がなくてね。」

「…花乃はこうなることがわかっていたから、何度も俺から逃げようとしましたよ。だけど俺が逃さなかったんです。どうしても…好きだから。」

東倉英子は笑い、両手を伸ばし、テーブルに乗せている俺の右手を覆った。骨ばって見えても、柔らかい両手だった。

「あの子が諦めない人を、見て確かめておきたかったの。紫苑さん、ありがとうね。あの子を逃さないでくれて。あの子が…どうしても手を離したくない人に、なってくれて。」

そんな。
俺がしつこく追いかけただけだ。そう言おうと思ったが、東倉英子の両目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
花乃によく似た顔でそんな表情をされると困る。

「あの子が一生、何も欲しくないから大丈夫、なんて言って笑っている人生にならなくて、本当によかった。」

ああ。英子さんの言う花乃はとてもよく想像できた。花乃は何も欲しがらない。それどころか、必要だと判断すれば、微笑みながら、自分の身を切って差し出すようなことも平気でするのだ。

もしも、花乃と俺が出逢わなければ。もしも、花乃が俺から逃げ切っていたら。
あるいは…例えば、飯沼の息子と結婚していたかもしれない。この人を愛しているから、などと幸せそうな笑顔を作りながら嘘を吐くのかもしれない。
想像するだけでぞっとした。

「本当に、ありがとう。」

< 101 / 115 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop