…だけど、どうしても

「まあ、黒田。お小言はそれくらいにして、本題よ。」

僅かな間を狙って黒田をさりげなく促す英子さんのそのやんわりとした言い方は、よく聞き覚えのあるものだった。花乃の俺や他の男を操縦する術はこの母親から学んだものも多いのだろうと気づかされる。

黒田が咳払いして、運ばれてきたコーヒーで喉を潤した。

「…実は、お嬢様は、この3日間、何も口にしておりません。」

「…は?」

フリーズする俺に構うことなく黒田は続ける。

「貴方がお帰りになられた後、旦那様は大層お怒りになり、お嬢様に、貴方と別れるまではと外出を禁じられました。
今まで私は旦那様にお知らせせず、あなた方の交際は黙認してまいりましたが、こうなった今はそれも続けられません。私は監視役を命じられています。」

「しばらくは花乃も根気強く夫と話をしようとしていたのよ。でもね、夫は聞く耳を持たない。花乃や私や黒田が何をどう言っても意志は変わらないでしょうね。」

「お嬢様も、それを悟ったようでした。旦那様のお気持ちを動かすために打てる手は、何も無い。しかし、お嬢様は一つだけ見つけました。他でもない旦那様のご自身への愛を、盾にする手段を。」

あの、馬鹿。
思わず声が口から出ていた。また自分を痛めつけることをしているわけか。身体中の血が煮えたぎり、汗が滲み出した。

「お嬢様がご自身で決められたことを最後までやり通す方なのは、旦那様が誰よりもよくご存知です。さすがの旦那様も追い詰められてきておいでです。そういう意味では、お嬢様の行動は狙い通り効果を上げているともいえます。
しかし、私達はこのまま黙って見ているわけにはまいりません。もう、3日ですよ。」

黒田の声が段々と切羽詰まり、抑えていた焦りが溢れ始めている。
そうだ。花乃は3日でも一週間でも一ヶ月でも平気な顔をして続けるだろう。黒田や英子さんが俺のところへやってきた理由がわかった。もう、俺を頼るしかないのだ。

「お嬢様は一切、お食事をされておりません。」





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