…だけど、どうしても
彼に連れ去られて一夜を共にした後、ホテルの一階に降りると、黒田はロビーで唇を引き結んで、ソファに座っていた。一晩中こんなところで、眠りもしないで。私が責めるよりも先に黒田の方が口を開いてそう言ったのだ。
「芹沢…?」
「芹沢コーポレーションの次期社長、芹沢紫苑です。」
紫苑。
その名前なら、数時間前に彼自身の口から聞いていた。それなら間違いないのだろう。
「そう。」
「向こうは知っているのですか? 貴女のことを。」
「知らないと思うわ。」
「お好きなのですか? お父様はお許しにならないと思いますよ。本気なら、わたくしがお口添えさせて頂きますが…」
「いいの、黒田。」
私は首を振って笑う。
「いいの、もう会わないから。」
あの朝…朝と言うには遅かったけれど、彼より先に目覚められたことを神に感謝した。
彼の彫刻のように美しい寝顔を見て、その頬に触れてから、黙って部屋を出られたことは幸運だった。
私を抱きしめて眠る彼の腕をそっと退けて、ベッドから抜け出て、自分の下着や、服や、靴が一体何処に散らばっているのか探しながら、一つ一つバラバラに拾い上げていくのも、一人楽しくて。
身体中の痛みや気だるささえ、彼に抱かれた証だと思ったら、いとおしかった。