…だけど、どうしても
「…あなたは? バカンス?」
気持ちを切り替えるように明るい声で言って、彼女は俺の顔を覗き込んだ。
一流ホテルの屋上プールで、平日の真っ昼間から男が一人で泳いでいる。それ以外に正解は無いだろう。
俺は笑って頷いた。
「明後日までここに泊まってる。」
「だけど、都内なのね。それともお宅がどこか遠いの?」
「いや、休みが今日から3日しか取れなくて。旅行に行くほどでもないけど、家に居ても自炊しないといけないし面倒だから。」
「それで、ここ? 贅沢ね。」
くすくす笑うけど、あんただってお嬢様なんだろ?
乾きかけている髪に触れて、頭を引き寄せ、額を合わせて、そう言ってやりたい。
ああ…重症だ。
俺は頭を抱えたくなってくる。
この綺麗な女をこれからどうやって俺のものにしたら良いのだろう。
今まで俺に群がってきた女とは、どう見ても彼女は質が違った。大体、誰かを手に入れようと必死になったことなど今までない。
ゲームのように勝算の見込み十分な駆け引きだけして、ベッドへゴールイン、といったような遊びしかしてこなかった。
俺は静かに深く息を吸う。
だけど、彼女を手に入れる…
「あ…」
彼女が目を上げて出入り口を見た。
ガヤガヤと4,5人の男性グループが入ってくるところだった。
俺は舌打ちしたい気分を抑えて、場所を変えようか、と提案し…ようとするより先に、彼女がきれいな身のこなしで立ち上がった。
「だいぶ乾いたみたい。本当にありがとう、助かりました。それじゃあ…」
微笑んで、会釈をする。
唐突で、それでいて自然なタイミングで、意表をつかれた俺が一瞬言葉を選んでいる間に、彼女はするりとパラソルの影から抜けた。
男性客たちの視線を釘付けにしながら、乾いたオレンジ色のワンピースの裾を翻し、小走りでプールを出ていく。
俺は呆気に取られてその華奢な後ろ姿を見送った。
「…冗談じゃない…」
逃げられた。
本当に幻みたいな女だった。