恋する七夕 ~ピンクの短冊に愛を込めて~
七月一日付けで入社してきた浅倉は、健吾の父親の知り合いの娘だ。今春に大学卒業してからは『家事手伝い』の免罪符片手に料理だの生け花だのテニスだのお教室に通って悠々自適な生活を送っていたお嬢様で、まだ事務経験どころかアルバイト経験すら一切ないという。
電話の取り方すら知らなかった、どう考えても即戦力にはなりえない箱入り娘に、千草はたった一ヶ月で仕事の引き継ぎをするらしい。健吾は高みの見物気分でそんな短期間で終わるものかとほくそ笑んでいたものの、意外なことに引き継ぎは割と順調に進んでいるらしい。
というのも、千草は新人のためにとっておきのマニュアルを用意していたのだ。それは誰に言われたからでもなく、もう何年も前からこつこつと千草が作成していたもののようなのだ。
そこには業務に関することは勿論のこと、事務所の備品の購入先や、飲み会に使う所長の伊佐木の気に入りの飲み屋から二次会向けのキャバクラなどの情報が事細かに網羅されているらしい。千草の突然の退職を残念がっていた所員たちも、『これだけ完璧なマニュアルがあったら文句も言えないわ』と太鼓判を捺していた。
ただなんとなく居心地のいい父親の事務所に流れ着いて漫然と仕事をしていた健吾とは違って、真面目な千草はいつ新人の世話をすることになってもいつ自分が退職することになっても大丈夫なようにと、今まで先を先を見て仕事をこなしていたということなのだろう。
(そんな気の利くヤツを簡単に手放したりするなよ)
恨みがましく思いながら父親の座る所長席を睨む。千草を慰留するどころか、そもそも千草に新しい働き口を紹介したのはこの父らしいのだ。
伊佐木は息子たちが破局したことを知って、『健吾と同じ職場にいさせるのは千草ちゃんには酷なんじゃないか』『健吾も気まずいんじゃないか』と余計な気を回して、欠員や求人のあった知り合いの弁護士事務所を千草のためにいくつか見繕ってきたらしいのだ。
千草も転職する意思はあったものの、はじめは別れた男の父親である所長のコネを使うことにはさすがに躊躇いがあったらしく、何度も断っていたそうだ。けれど千草にも何か思うところがあったのか、最近になって父が三つめに紹介した事務所に移ることに決めた。