おとなりさん
1、キラキラとは程遠い
春。新社会人。初めての一人暮らし。初めて踏み入れる土地。初めて出会う人たち。
何もかもが新鮮で、思わずウキウキしてしまうような事ばかりで、毎日がもっとこうキラキラしたものだと思っていた。1ヶ月前までは。
「ただいまー」誰もいないと分かっていながらも、つい声に出てしまう。1LDKの薄暗い部屋に寂しく自分の声だけがこだまする。母親の「お帰り」という声が返ってきていた実家が懐かしい。
ブラウンのトレンチコートをベッドに放り投げ、仕事でかっちりと纏めていた髪を一気に下ろし、スーツを脱ぎ捨て、高校生の頃より愛用しているジャージに即着替える。
床には、散乱する仕事の資料、数日前に飲み干した空のミネラルウォーターのペットボトル、読み散らかした大量の漫画本、等々…とてもではないが足の踏み場がない。
こんなはずじゃなかったのになー、と思いつつも、大量にストックしている缶ビールのうち一つを冷蔵庫から取り出し、仕事帰りにスーパーで買った「半額」のシールが貼ってあるお惣菜に手をつける。
ここ1ヶ月、毎日毎日同じような生活を繰り返している。
これが所謂「干物女」と呼ばれる女の生活なのだろう。これでいいのか?坂本梨沙、22歳女、独身!そう自分に問いかける。答えは「ノー」だと分かっている。しかし、この生活を改善するつもりがない事も、自分自身で分かりきっている。何故ならば、面倒だから。
ー今から1ヶ月前ー
冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、エアコン、フカフカのベッド。そして、大量の漫画本たち。うん、生活する上での最低限のモノは揃った。
「ねぇ梨沙。こんなに大量の漫画本、実家に置いてきた方が良かったんじゃない?この馬鹿でかい本棚と山のような漫画本持って来るのが、一番大変だったんですけれども」
「これが私の元気の源なんです」
なんだかんだ小言を挟みつつも、私の引越しの手伝いをしてくれる佳奈は優しいと思う。
地方の大学を卒業し、親元を離れ、いよいよ今日から一人暮らしだ。実家から職場まで通えない距離ではなかったが、「いい年した大人なんだから、いい加減と独り立ちしてほしい」という、両親の意向と、「いい年した大人なんだから、いい加減親に束縛されずに自由に生きたい」という、娘である私の意向が一致したためであった。
今日からここが、私のお家だ。ピカピカの家具に包まれて、何だかちょっとウキウキしてしまう。
「どう?ここらでちょっと休憩しない?」
引越しの作業もひと段落ついた。一応家主である私がいるのにも関わらず、佳奈はテキパキとコーヒーを淹れ、クッキーをお皿に並べてくれた(しかもクッキーは佳奈の手作りの差し入れである)。佳奈は、小学2年生からの付き合いで、小学校、中学校、そして高校も同じ学校を進学した。お互いの実家が道路を挟んで向かい側にあり、昔より近所の人たちからは「姉妹みたいだね」と言われてきた。所謂「幼馴染み」というものである。佳奈は、私とは対照的で、しっかり者で、活発で、意志が強く、よく学生時代には、クラスの学級委員長や体育祭の応援団長をしていた。我ながら素晴らしい友人を持ったと思う。この春、看護大学を卒業し、4月から地元の国立病院で看護師として働くそうだ。
3月の、少し暖かく心地よい風が、部屋を吹き抜ける。
「それにしても、まさか梨沙が一人暮らしするだなんてねぇ」
コーヒーを一口し、マグカップをコトリと木のテーブルに置き、一息ついた後、佳奈が独り言のように呟いた。
「それどういう意味?」
「いやさー、だって梨沙って家事出来んの?」
時々、佳奈は私の痛いところを突いてくる。
そう、私は「いい年した大人」なくせに、今まで寄生虫のようにずっと実家に居座り、親の脛を齧って生きていた。ろくに家事をした事がない。料理は作れないし(カレーライスですら一人で作れない)、洗濯機もろくに扱えない。
「う……まぁ今まではアレだったけれども、大丈夫!大丈夫!料理も毎日作るし、洗濯だって、掃除だってちゃんとやるもん!」
「ふーん」
佳奈の顔がニヤニヤしている。小馬鹿にしているな。ちょっとイラッとした。
「今私のこと馬鹿にしたでしょ?仕事も家事もバッチリこなす、かっこいい大人の女性になるんだから!」
「その意志、いつまで続くかしらね?」
佳奈はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「仕事も家事もバッチリこなす、かっこいい大人の女性になる、か」
あの時自分で発した言葉を思い出して、頭が痛くなる。
結局、自炊なんて3日も続かなかったし、洗濯物も数日分溜まってしまった。足の踏み場がないほどモノに埋もれているから、当然掃除も暫くしていない。
せめて脱ぎ散らかしたスーツぐらいハンガーに掛けよう。そう思うものの、腰が重い。
まぁいいや。明日どうせすぐに着るのだし、多少シワになったって私は気にしない。
明日も朝早い。シャワーを浴びて、今日はもう眠ろう。
何もかもが新鮮で、思わずウキウキしてしまうような事ばかりで、毎日がもっとこうキラキラしたものだと思っていた。1ヶ月前までは。
「ただいまー」誰もいないと分かっていながらも、つい声に出てしまう。1LDKの薄暗い部屋に寂しく自分の声だけがこだまする。母親の「お帰り」という声が返ってきていた実家が懐かしい。
ブラウンのトレンチコートをベッドに放り投げ、仕事でかっちりと纏めていた髪を一気に下ろし、スーツを脱ぎ捨て、高校生の頃より愛用しているジャージに即着替える。
床には、散乱する仕事の資料、数日前に飲み干した空のミネラルウォーターのペットボトル、読み散らかした大量の漫画本、等々…とてもではないが足の踏み場がない。
こんなはずじゃなかったのになー、と思いつつも、大量にストックしている缶ビールのうち一つを冷蔵庫から取り出し、仕事帰りにスーパーで買った「半額」のシールが貼ってあるお惣菜に手をつける。
ここ1ヶ月、毎日毎日同じような生活を繰り返している。
これが所謂「干物女」と呼ばれる女の生活なのだろう。これでいいのか?坂本梨沙、22歳女、独身!そう自分に問いかける。答えは「ノー」だと分かっている。しかし、この生活を改善するつもりがない事も、自分自身で分かりきっている。何故ならば、面倒だから。
ー今から1ヶ月前ー
冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、エアコン、フカフカのベッド。そして、大量の漫画本たち。うん、生活する上での最低限のモノは揃った。
「ねぇ梨沙。こんなに大量の漫画本、実家に置いてきた方が良かったんじゃない?この馬鹿でかい本棚と山のような漫画本持って来るのが、一番大変だったんですけれども」
「これが私の元気の源なんです」
なんだかんだ小言を挟みつつも、私の引越しの手伝いをしてくれる佳奈は優しいと思う。
地方の大学を卒業し、親元を離れ、いよいよ今日から一人暮らしだ。実家から職場まで通えない距離ではなかったが、「いい年した大人なんだから、いい加減と独り立ちしてほしい」という、両親の意向と、「いい年した大人なんだから、いい加減親に束縛されずに自由に生きたい」という、娘である私の意向が一致したためであった。
今日からここが、私のお家だ。ピカピカの家具に包まれて、何だかちょっとウキウキしてしまう。
「どう?ここらでちょっと休憩しない?」
引越しの作業もひと段落ついた。一応家主である私がいるのにも関わらず、佳奈はテキパキとコーヒーを淹れ、クッキーをお皿に並べてくれた(しかもクッキーは佳奈の手作りの差し入れである)。佳奈は、小学2年生からの付き合いで、小学校、中学校、そして高校も同じ学校を進学した。お互いの実家が道路を挟んで向かい側にあり、昔より近所の人たちからは「姉妹みたいだね」と言われてきた。所謂「幼馴染み」というものである。佳奈は、私とは対照的で、しっかり者で、活発で、意志が強く、よく学生時代には、クラスの学級委員長や体育祭の応援団長をしていた。我ながら素晴らしい友人を持ったと思う。この春、看護大学を卒業し、4月から地元の国立病院で看護師として働くそうだ。
3月の、少し暖かく心地よい風が、部屋を吹き抜ける。
「それにしても、まさか梨沙が一人暮らしするだなんてねぇ」
コーヒーを一口し、マグカップをコトリと木のテーブルに置き、一息ついた後、佳奈が独り言のように呟いた。
「それどういう意味?」
「いやさー、だって梨沙って家事出来んの?」
時々、佳奈は私の痛いところを突いてくる。
そう、私は「いい年した大人」なくせに、今まで寄生虫のようにずっと実家に居座り、親の脛を齧って生きていた。ろくに家事をした事がない。料理は作れないし(カレーライスですら一人で作れない)、洗濯機もろくに扱えない。
「う……まぁ今まではアレだったけれども、大丈夫!大丈夫!料理も毎日作るし、洗濯だって、掃除だってちゃんとやるもん!」
「ふーん」
佳奈の顔がニヤニヤしている。小馬鹿にしているな。ちょっとイラッとした。
「今私のこと馬鹿にしたでしょ?仕事も家事もバッチリこなす、かっこいい大人の女性になるんだから!」
「その意志、いつまで続くかしらね?」
佳奈はニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「仕事も家事もバッチリこなす、かっこいい大人の女性になる、か」
あの時自分で発した言葉を思い出して、頭が痛くなる。
結局、自炊なんて3日も続かなかったし、洗濯物も数日分溜まってしまった。足の踏み場がないほどモノに埋もれているから、当然掃除も暫くしていない。
せめて脱ぎ散らかしたスーツぐらいハンガーに掛けよう。そう思うものの、腰が重い。
まぁいいや。明日どうせすぐに着るのだし、多少シワになったって私は気にしない。
明日も朝早い。シャワーを浴びて、今日はもう眠ろう。
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