まどわせないで
引っ越してきた隣人
 えっ。

 息を飲むとは、まさにこのことで。
 となりの角部屋に新しくひとが引っ越してきた。
 それは驚くべきことではないんだけれど。

 玄関に挨拶に現れたのは、顔の下半分くらい隠れる大きな白いマスクに、これまた顔の上半分くらい隠れるようなサングラスの男。
 服装は普通に、シャツにデニム。見た目から、すらりとした体型であることがわかる。しかも珍しいことに、わたしがやや見上げなければいけないほど、長身でもある。肌の色がほとんど見えないくらい隠された顔を見た瞬間、その近寄りがたい雰囲気に、夏野小麦は頭が真っ白になった。

「どうも。となりに引っ越してきた如月です」

 更に、驚いたことに、マスク越しの声はがさがさと呻くような声だった。
 なにを話しているのか聞き取りにくくて、頭のなかでリピートした。
 引っ越してきた、如月さん。
 どうやらとなりの角部屋に、新しく男のひとが引っ越してきたらしい。

「あ、どうも……あの、夏野小麦、です」

 しどろもどろ挨拶を返すと、そのひとが小さく頷いたような気がした。
 声、出しにくいのだろうか?
 あ! もしかして風邪引いてるから顔色悪いの隠してる? 風邪菌を飛ばさないようにエチケットでマスクしてるとか?

「あの、声大丈夫ですか? なんだか辛そうに聞こえます。もしかして風邪引いてます? 熱、ありませんか? 頭痛や鼻水、喉の痛みは? 市販薬でいいなら風邪薬ありますよ? 眠くならないやつです。よかったら飲んでーーー」

 みますか? そう問いかけようとした小麦の目の前で、ドアが閉まった。玄関にひとり取り残され、静寂が訪れる。
 話してる途中だったのに。
 確かにわたしの話しは長いってよく言われるけど、途中で強制終了は酷くない?


 これが、如月陸との出会いだった。
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