まどわせないで
「えっ」

 小麦がどこに座っていたのかわかっていたように、的確な場所に顔を向けてきた。その瞳は真剣で、いきなり命じられた小麦は飛び上がる。

「余計な心配しなくていいから目を閉じろ」

 ええ。わかってますとも。
 女性扱いしていないと、さっき聞きました。
 大家さんに盗み聞きばらされたくなかったらって脅して、ラブホテルに連れてきて目をつぶれって、このひとは自分勝手だってわかってるのかな!?
 鼻息荒く小麦は目をつぶった。
 もし、触れてきたら噛みついてやる!

「………」

 目を閉じていると音に敏感になるのか、陸が僅かにたてた衣擦れの音がハッキリ聞こえた。
 そして。
 チュッ。
 チュッ……チュッ。
 何かに吸い付いて離れるような……キスしているような音が聞こえてきた。
 えっ、なにこれ、どういうこと?
 わたしはキスされていないのに。
 そのあとも、続くキス音に、心臓が落ち着きをなくしていく。
 キスの音は次第に湿り気を帯び、陸の小さく呻くような音と共に、果物かなにかを美味しく食べているような水っぽい音が聞こえてくる。
 唇に軽いキスだったものが、もっとねっとりと濃厚な深いキスに代わったようだった。
 まるでそのキスに応えるように、ビクッと体が震え、みぞおちの下あたりがキュンとなった。
< 13 / 80 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop