まどわせないで
 足元を見ていた小麦はハッとして顔をあげる。見知らぬ男性だ。

「君、ひとり?」

 誰? 茶髪にピアス。ビジネススーツを着くずした、いかにもチャラい系の男だ。身長は、パンプスを履いた小麦と同じくらいか、少し低いくらい。
 小麦は左右を見渡し、他にひとがいないので、どうやら自分が話しかけられていることに気づく。

「あー……はい、ひとを待ってます」

「待ち人来ず、ってやつ?」

 先に来ただけなんだけどな。心のなかで冷静に返事をする。
 ニヤニヤと、その軽い笑いかたが、あんまり好きになれなかった。

「それにしても、君、綺麗だね」

 じろじろ上から下まで、舐めるような視線に鳥肌が立つ。

「ど、どうも……」

 相手が誰であれ、綺麗なんていわれたのは久しぶりだ。このひとは、とりあえずわたしを女性として見ている。
 最近、わたしが女だということを、ついうっかり忘れさせてくれるひとが身近にいるおかげで、傷ついてカサカサになった心は、こんな軽いひとの誉め言葉でも、ちょっと潤った。

「これからディナーでも、一緒にどう?」

 身を寄せてくる男に、小麦は身を引いた。

「あの、先約あるんで付き合えません。ごめんなさい」

「なんだよ、つれないなぁ」

 更に身を寄せてくる男。それ以上、関わりたくなかったので、小麦は逃げようと身を翻した。

「待てよ!」

 逃げるつもりが、手首を掴まれて身動きが出来なくなる。
< 36 / 80 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop