まどわせないで
「はじめて会ったときから、君のことが忘れられない」

「えっ……? き、如月さん?」

 切実な想いを打ち明けるように、熱い眼差しで訴えてくる。抑えられない気持ちを表すように、濃厚な蜂蜜の声が僅かに震えていた。小麦は、突然変わった陸の態度に戸惑う。

「毎夜、君を抱くことを夢見ていた」

「な、なにいってるんですか? 冗談、ですよね……?」

「小麦。今夜、ぼくにその身をあずけてくれ。とろけるような一夜を約束しよう」

 小麦、君、ぼく。
 こんな単語、如月さんが本気でいうわけない。
 喜びにふくらみそうだった気持ちが、現実に引き戻されて、たちまちしぼんでいく。
 全て演技だったことに気づいて、胸が痛んだ。それと同時に腹が立った。

「どうして、そんなにいじわるなの?」

 陸は、いまにも泣きそうな顔で睨み付けてくる小麦の心情を、わかってやれる状態ではなかった。
 いじわる?
 小麦に問われた言葉を繰り返す。
 てっきりひとりで待ち合わせ場所で大人しく待っていると思っていた小麦が、男に言い寄られているのを見たとき、燃えるような怒りを感じた。
 小麦は誰にも相手にされないはずだと安心していたぶん、予想外の展開を目の前にして、感情のコントロールが外れた。
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