まどわせないで
「あれ、彼女じゃないの?」

 否定する小麦に、意外そうな反応。

「ですから、隣人です。ただの」

 最後の言葉を強調する。
 普通、多少なりとも好意を持っていたら、相手を傷つけるようなことはいわないよね。ましてや色気がないなんて、平気な顔していわないよね。
 わたしはそれをいわれている。
 わたしが喜ぶことなんて、出会ってからなに一ついわれた試しがない。
 好きな素振りだって……見せたことない。
 あんなふうに笑うことだって。
 キスされたとき優しく触れたのは、女性に対していつもああしてるから。手慣れた所作。
 優しく触れて、蜂蜜のような滑らかで心地好く響く声で、女のひとを誘惑してるんだ。
 それは、わたしの知らない如月さん。
 わたしにはそんな態度取らないとわかっているからこそ、余計に知りたいと思ってしまう。
 あの、キスのせいだ。

 優しく触れる唇を思い出してドキドキし、陸のほうを見て苛ついた。

「いま如月さんにくっついているひとのほうが彼女らしいじゃないですか」

「ああ、それはないよ。小麦ちゃんは陸のこと好き?」

 ふたりの関係を知っているのか、さらっと流された。

「す、すすす好きって」

 ここの社長さんはなんでこう色々と聞いてくるんだろう。

「あ、赤くなった」

 社長は口角を持ち上げてにんまりする。

「や、これは、違いますっシャンパンを少し飲みすぎました」

「陸、嫌いなの?」

「嫌いじゃありません! 好きでもないけど……」

 心に浸透するような温かな声は好きだけど、でも性格に難がある。
 さんざん心を傷付けるようなこといわれている分、陸に対する小麦の気持ちは複雑だった。
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