まどわせないで
「ごっごめんなさい」

「よう」

 その声にハッと顔をあげる。片手をあげ、微笑むそのひとは。

「と、冬里、くん……」

「やっとまともに話せたな、小麦。久しぶり」

「ひ、久しぶり」

「冬里くんてなんだよ、それ。よそよそしく呼び合うような間柄じゃなかったじゃん」

 冬里がここに来たのは偶然? まるで小麦がトイレから出るのを待っていたかのようにも見える。
 個別に話したいことでもあるのだろうか?

「お前、キレイになったなぁ」

 僅かな感情の動きさえも読みとろうとするような瞳に探るようにじっと見つめられ、直視していられなくなった小麦は視線をそらした。

「そんなことない。冬里くんはますますいい男になったね」

「ありがとう。で、小麦、いま彼氏いるのか?」

「うぇっ!? は、い?」

 なんでそんなこと聞くの!?
 驚いて返答に困っていると、少しいいにくそうに上を見上げ、頭をかいた冬里が次の言葉を発した。

「なぁ、少しふたりで抜けないか?」

「え?」

 冬里の提案に耳を疑う。

「あのときできなかったこと、終らそうぜ」

 一歩近づき距離を縮める冬里に、小麦は慌てて首を振る。
 あのときできなかったことってもしかして……えっち?

「まっままままって! それ、無理」

 胸の前で交差させた手でそれ以上近づかないでと、壁をつくる。

「無理じゃないだろ? 俺も経験積んだし、あの日のようにはならないからさ、絶対」

 余ほどの自信があるのか、お酒が入って気が大きくなっているのか、余裕の笑みさえ浮かべて誘う。

「わたし、無理……!」

「不感症って思われたままでいいのか?」

「そんなこと、もうどうでもいい……!」

「答えを焦んなよ。やり直そうぜ」

 後ろはトイレのドア。店内への細い通路は冬里に塞がれている。逃げ場はない。
 伸びてきた手に、手を掴まれ抵抗しながらも恐怖に目をつぶる。頬に冬里の息がかかり――。

 如月さん……!

 心で助けを求めていた。
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