勘違いの恋
動揺
「水瀬。今晩空いてる?」
会社の、休憩室という名の備品置場で私がコーヒーを飲んでいると、上から声が降ってきた。見上げると、植松が笑顔をキラキラさせながら私を見ている。
「……」
ビアガーデンで話した翌日から、私は何故かやたら植松に話しかけられるようになっていた。植松のきらびやかな交友関係になるべく近寄らないようにしていた私に、植松が何度も話しかけてくるものだから、今の私は社内で注目の的だ。
「仕事の話なら時間空けるけど、それ以外だったら空いてない」
「なんだそれ。空いてるってことじゃねぇか」
植松は私の素っ気ない態度に気を悪くする様子もなく、目の前にまわって来てクスッと笑った。
「ただ水瀬と飲んでみたいなぁと思っただけなんだけど」
「ならお断りします。ってか、何でそんな急に話しかけてくるようになったの? 正直、植松のファンからの視線が痛いんですけど」
周りの女性社員の刺々しい視線や、男性社員からの不思議そうな視線に耐え切れなくなっていた私は植松に聞いてみた。面白がってるとしか思えなかったから。
「うーん。何だろうなぁ……」
植松は首をひねって数秒考えるような素振りを見せた。
「しいて言うならギャップ萌え?」
「はぁ?」
「今みたいな会社にいる時の水瀬と、こないだのビアガーデンでの水瀬があまりに違うから面白そうだなぁと思って」
……私の勘は当たっていたらしい。
「だったら、私が植松と飲みに行ったとしても、この態度は変わんないと思う。よって、お誘いはお断りします」
話を切り上げようと私が立ち上がると、植松はつまらなさそうにため息を吐く。
「この俺の誘いを断るのなんか、藤間部長とお前くらいなもんだぞ」
「レアケースじゃない。良かったね」
私はそれだけ言って休憩室を後にした。そしてそのまま化粧室へと向かい、個室に飛びこむと、スマホを取り出しメール画面を出した。
『美咲、どうしよう。植松にギャップ燃えって言われた……!!!』
動揺しすぎて漢字変換を間違える。
そう。あのビアガーデンで顔を寄せて囁かれた日から、私は植松を意識しまくっていた。我ながら、お前は小学生かと突っ込みたくなる。少し近付かれただけでこの有様……。
好きとか嫌いとかいう以前にただただ動揺していた。植松にとっては挨拶程度なのだろうけれど、私からしてみれば、大事件だった。
「情けないっていうか、カッコ悪いなぁ……」
ここ数日の自分の動揺っぷりが情けない分、会社で人目がある時はいつも以上にきびきび動くようにしていた。
元々の私は美咲の言うとおり、残念な感じの人間だ。だからこそ、必死で人様に迷惑をかけないように努力してきたし、就職してからは特に必死になって色恋にはわき目も振らず5年間走り続けてきた。
……その傍らで、植松は入社直後から話題の中心人物だったわけだけど。
まぁ、その甲斐あって、ある程度の信頼というか、評価はもらっていると思う。
だからそんな私が仕事以外に意識を向けてしまったら、と思うと、とんでもない未来しか思い浮かばない。
結局漢字変換を間違えた美咲へのメールはため息と共に削除して、午後からの仕事に取り掛かるため、私は5回深呼吸してから個室から出た。