華子(なこ)

大事な5年間

必ず誰人にも訪れる「死」。他人ごとではない現実なのだ。
そして今ここに。お前はどこに行ったのだ?不思議な現実。

敬虔な祈りの中に人の気配を感じる。なこがそっと入ってきて
向こうの枕元にかがんだ。克彦の耳元で、
「パパただいま。おじさんがずっとお題目をあげてるよ。よかったね」

やさしいまなざしがこちらに転じた。治は題目を止めうなづいた。
「ずっとお題目?」
「ああ、ずっと。徹夜でもなんともないさ」
「すごいな」
そう言いながらなこはモニターを見た。
「酸素が80になってる!すごーい」
「ほんとだ。もっともっとお題目をあげなくちゃあな」
「ありがとう!おじさん!」

治は意を決してなこに聞いた。
「この5年間結婚どころじゃなかったて言ったよね?」
なこは無言で少し笑みながら肩をそばめた。

「たとえば不倫だとか?好きな人はいたけれど経済的に無理だったとか?
お母さんが猛反対したとか?大事な大事なこの5年間何があったの?」
なこは真剣なまなざしで治を食い入るように見つめた。

「そうこの大事な5年間。パパは事業に失敗し同志からの多額の借金で
組織を除名になりその頃から私は自力で教師を目指したものの、やっと
たくわえができかけたころに昨年姉のアキちゃんが睡眠薬の飲みすぎで・・」

なこの瞳に涙がにじむ。
「リオとカイを残して死にました。すべての蓄えは母とパパのために」
「結婚どころじゃなかった」
「それでもとても足りないくらいでした。でもいいんです。おじいちゃん
おばあちゃんが生きてた時、パパにはほんとにいい思いをさせてもらいましたから」

その時足音と人声が聞こえ、昼を回ってやっとトコとリオとカイが
大きな紙包みを抱えて入ってきた。少し遅れて母ひろこの大きなよく通る声。
「みんな、しずかにしてよ!病院なんだから」

「おじさん。ずっとお題目あげてくれていたんだって。ありがとう!こういう人が
いるって一番助かるね、なこ。あ、おじさん向こうでこのサンドイッチ一緒に食べ
ましょう。おなかすいたでしょう?皆パパ見てて交代ね」
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