横顔の君
「こんばんは。」

「あぁ、いらっしゃい。」



理由がなくても鏡花堂に行けるようになった。
ファンタジー小説を読み終えてなくても、私は仕事帰りに立ち寄り、他愛ない会話をしてから家に帰るようになった。



「今日はファンタジー小説の続きを買って帰ります。」

ある日、私がそう言うと、照之さんは首を振った。



「え?どういうことですか?」

「これからは好きなのを勝手に持って帰って下さい。」

「え…そんなのだめですよ。
いくらお付き合いしてるっていっても、お金のことは…」

「そんな水臭いこと、言わないで下さい。
僕は古本屋ですから、そんなたいしたことは出来ませんが、ここのことは僕とあなたの書庫だと思って下さい。」

「照之さん…」



僕とあなたの書庫…
その言葉に胸が震えた。
いつも暇な鏡花堂だから、私の購入も照之さんの生活の支えの一部になってる…どこかでそんな風にも思ってたけど、考えてみれば、私が一月に買う額なんてたかが知れてる。
それなら、素直に照之さんの好意に甘えた方が良いのかもしれない。



「ありがとうございます。
では、そうさせていただきます。」

私がそう言うと、照之さんは穏やかに笑った。




「その小説はとても長いから、家に置いとくのも大変でしょう?
今までのも持ってきてくれたら、書い取りますよ。」

「そういう水臭いことはしないんでしょう?」

「あ……でも、買い取りは…」

「ここは私と照之さんの書庫なんですよね?」

照之さんはもう言い返すことはなく、静かに苦笑いを浮かべた。



「ここに置いてもらえたら本当に助かります。
実は部屋が狭くなってきてて困ってたんです。」

「じゃあ、いつでも持ってきて下さいね。」

「はい。」



休みの日には、店を手伝うようにもなった。
照之さんはたまに仕入れにも行っているらしく、その間の店番や、在庫の整理、値札貼りなど、照之さんに教えてもらってそういうことを手伝うのも楽しい時間だった。
< 83 / 130 >

この作品をシェア

pagetop