姉の思い出 短編集
チョコレート
放課後、あたしは図書室にいる。校舎の三階、かどっこにあって、見晴らしがすごくいい。
見たくなくても、幼なじみの隼人がサッカーをしているのが見える。
あー…
今日はねー
あんまり見たくないかも。
いつになくギャラリーが多いのも、今日が特別だから。
あちこちでキラキラふわふわした紙袋やラッピングが揺れている。
その様子は花畑で蝶やミツバチが飛び回っているみたいに、にぎやかで甘い。
とくに隼人を待つこともないけれど、習慣てものはなかなか変えられるものじゃない。小さい頃から隼人の家で、帰りの遅い両親を待っていたせいで、あたしは一人で帰ることに慣れていない。
急いで帰る用がなければ、大概隼人の部活が終わるのを待って一緒に帰っていた。
兄弟みたいに育ったとはいえ、隼人の留守に部屋に上がり込むことはできなかった。
働いている隼人のママは、隼人と同じ頃か少し遅れるくらいで家につく。買い物をしていて遅くなることもあるから、隼人は家のカギを持っている。
家に入りたくても、幼なじみとはいえ他人のアタシはカギ待ち隼人待ちの日々を送っている。
グラウンドでボールを片付け出したのを見て、あたしも荷物を片付ける。
たいして進まなかった宿題は、後で隼人に教えてもらうことにして、鞄に押し込んだ。
ふと気になって、窓からグラウンドを覗くと隼人にミツバチと蝶が群がっていた。頭ひとつ抜き出た隼人は囲まれて困っていても、一人一人にきちんと対応しているようだった。
しげしげと眺めていたら、見上げるようにした隼人と目があった。
隼人の髪は陽に焼けて色が抜けていて、ハチミツみたいに甘い。その髪の甘さに合う優しい整った顔をしている。
優等生で誰にでも優しくというのが学校での隼人の立ち位置で、あたしの知るかぎりボロは出していない。
本当の隼人は優しい外見の通りだけではなくて、意地悪な所もある。それを知っているのは、多分あたしと従兄弟のお兄ちゃんくらい。
隼人が囲まれているので、あたしの動きはのろのろだ。今行った所でチョコレート攻勢を受けている隼人はあたしがいることに気が付かない。
なるべく時間をかけて靴箱にたどり着くと、またもや時間をかけて靴をはく。
幼なじみという微妙な立場にいるあたしは、バレンタインデーは波風たてずにやり過ごしたい日だ。
隼人が誰とも付き合っていないから、バレンタインデーはどんどん加熱していく。
もし彼女がいたなら、真面目なところのある隼人のことだから、その彼女以外のチョコレートは断るはずだ。
それでもって彼女が出来たなら、あたしもそうそう隼人の家に入り浸る訳にはいかないだろう。
ゆっくり歩きだしながら隼人を伺う。女の子の数は減っていて、残りはわずかに数人を残すだけになっていた。
でもその中には水原さんがいて、まわりの下馬評では本命とされていた。
さらりと伸びた黒髪に理知的でいて、可愛らしい顔をしている。華奢な彼女は同性からしても可愛らしくて、彼女にしたい理想の女の子だ。
グラウンドの横を通り過ぎて校門へ向かうと、背中によく通る声がぶつかってきた。
「悠里、そこで待ってて」
慌てて振り返ると水原さんを前にして、隼人が口元に片手をあてて声を出していた。
「いいから…無理しなくて」
今のあたしには、水原さんをはじめとした女子の視線が痛い。
「無理とかじゃないから。悠里は待ってて」
声音に怒りが塗される。ほんの僅かなそれを気づくのは付き合いの長い幼なじみだからかもしれない。
「…水原さんを待たせちゃ悪いよ」
校門に向き直って、逃げるような早足であたしは家に向かった。