姉の思い出 短編集
麻婆豆腐
魔法の言葉があったなら、自分はどうしていたのだろう。
あたしは麻婆豆腐を作っていた。
それが彼の好物だからだ。理由なんてそんなものだ。
沸かしたお湯に切りながら豆腐を投げ込むと、ぼちゃぼちゃ音をたてて跳ね返った。
お湯が跳ね返っても仕方ない。豆腐の一丁ってものは、普通の女子の手には余る。切るそばから崩れ落ちて鍋でお湯を跳ね返らせる。
それでもぐずぐずと崩れてしまわないのが、安い豆腐の魅力かもしれない。親戚からもらう一丁数百円の豆腐は柔らかくて、冷や奴が美味しい。
ぐらぐらと沸く鍋から豆腐をざるにあけ、フライパンを火にかける。油を入れてネギ、生姜、ニンニクを炒める。香りがたったら、挽き肉を加えてさらに炒める。
面倒くさいと、簡単の違いはなんだろう。
麻婆豆腐をきちんと作るようになって、そう思う。簡単美味しいは、手抜きではないのか、それも味覚のセンスさえあれば問題ないことなのだろうか。
あたし自身は、あまり食事に対しての熱意がないのでよくわからない。
合わせあった調味料を加え、豆腐も加える。
ぐつぐつ煮立つフライパンに水溶き片栗粉とゴマ油で完成する。
別にあたしは好きではないんだけど。
このタイミングで玄関のベルが鳴る。
計ったかのようなタイミングにはびっくりしたが、しぶしぶと来客を迎えに行く。
ドアを開けるとイケメンの笑顔。
ああ、なんか最後まで憎らしいくらいにイケメンだな。
「麻婆豆腐だよね嬉しいよ」
こっちは虚しいよ。ご飯食べたら、あたしの作った麻婆豆腐を食べたらサヨナラだ。
だって転勤が決まってるんだもん。
胃が痛くなってきそう。最後くらい好物を作ってあげようなんて、殊勝な気持ちにならなければよかった。
このまま別れ話を切り出されるまで待っていたら、体がもたないかもしれない。最悪、麻婆豆腐はタッパーで持たせればいいや。
「あの、話ってなに」
「うん、転勤の辞令が出たから」
「ああ、おめでとう。実家に近いとこで良かったね……」
「「じゃあ……」」
お別れだねと言うあたしと、付いて来てと言う彼の言葉が被った。
お互いにびっくりして、見つめ合ってしまう。
「おかしいだろ、別れるなんて」
「だって聞いてないもの。内示があった時に教えてもらえなくて、まわりの人から聞いたんだから。教えたくないのかと思うじゃない……」
「違う。そんな訳ないだろ。お前のキャリアを奪ってまで連れて行くことに抵抗があったんだよ」
イケメンが眉をしかめる。それはそれで見応えがある。
「じゃあ…あたしは嫌われていないの? 遊びとか、つなぎとかでなく」
「そんな訳ない」
そう言ってぎゅうぎゅうと抱きしめてきた。
「俺が麻婆豆腐を好きになったのは、お前が作ってくれたのだからなんだよ」
そう言って彼は優しく笑った。