ヒーローに恋をして
 バン。
 社用車の扉を閉めて、闇夜に浮かび上がるように聳え立つ高層マンションに胡乱な目を向けた。六本木通近くにありながら、車の喧騒がまったく聞こえない静かな住宅街。疲れて霞む目には堅牢な塔のようにも見えるこのマンションが、コウの家だという。

 会見の後は記者たちの単独インタビューが続き、ようやく終わったころには八時を過ぎていた。そこから宇野とコウと一緒に事務所に戻って打ち合わせをして、こうしてコウを送り届けている。タレントの送迎は現場マネージャーの仕事だから、初日からフルスイングで業務を全うしてると言える。

 助手席から出てきた男は、ニコニコ笑いながら尋ねた。
「お茶でも飲んでく?」
「……いや、いらないです」
 幼なじみが相手だと思うと、使う敬語がついおざなりなものになってしまう。こんなんじゃダメだと自分に言い聞かせて、事務所で取り交わした契約書の入った書類やスケジュール表が入った紙袋を手渡す。
 
「それじゃ、明日は九時に来ます」
 言いながら、片手は既に車の取っ手を握っていた。桃子にとってもめまぐるしい一日だった。いい加減休ませてほしい。
 そう思って車に乗り込もうとしたところで、ふいに手を捕まれた。咎めるように眉間に皺を寄せる。なに、と言おうとして、言葉を変換させる。
「……なんですか」
 重なるコウの手が大きい。子どもの頃に繋いだあの小さな手とは全然ちがう。

 コウはニッコリと笑った。もう十時になるっていうのに、まったく疲れを感じさせないさわやかな笑顔。
「ねぇ、ようやく二人きりになれたんだよ」
 いかがわしい言い方をしないでほしい。疲れで淀んでいる目がますます尖っていくのがわかる。
 コウはなにが面白いのか、くつくつと肩で笑うと握る手に力をこめた。

「十二年ぶりなんだよ、ももちゃん。ゆっくり話そうよ」
 
 口元に笑みを浮かべた目の前の男が、なにを考えてるか全然わからない。とまどっている間に手を引かれて、お城のようなマンションへと入っていった。
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