ヒーローに恋をして
すうっと息を吸いこんで、声をかけた。
「お疲れさまでした」
本読みが終わり出演者とスタッフが会議室を出て行く中、城之内はこちらをチラッと見ると「お疲れさま」と小さく返した。そしてすぐに隣にいた林と話し始める。
やっぱり、忘れてるか。
予想していたことだけど、それでも無意識に張っていた肩の力がするりと落ちたのを感じた。
「明日もコウをよろしくお願いします」
大方のマネージャーが言うセリフと同じ言葉を吐いて、二人が見てないことを承知で頭を下げた。
その場を引き返そうとしたとき、
「城之内さんて昔プラネット録ってたんですよね?」
明るい声が後ろから聞こえた。
城之内と林が振り返る。桃子はぎくりと身体を強張らせた。咎めるように眉を寄せて振り返っても、本人は気にせず笑顔を浮かべている。
「そうそう。あれで俺映画デビューしたんだよ」
城之内が懐かしそうに目を細める。その表情には見覚えがあった。リテイクもナシに長い台詞を言い切ったとき、城之内は今みたいに目を細めて笑っていた。
「彼女、トウコですよ。シュン役の」
ぼうっとしている間に、コウはさらりと言った。
「え?」
城之内は目を丸くすると、今はじめて桃子という人物に気がついたというような顔で振り返った。
焦ったのは桃子だ。
「コウさん!」
おもわず非難がましい声をあげても、コウはニコニコ笑って動じない。
「今俺のマネージャーなんです」
「……マジ?」
城之内がポツリと呟く。かぁっと頬に熱が集まるのがわかり、反射的に下を向いた。
子役上がりの一発屋――。
この間ディレクターに言われた言葉が、こんな時に脳裏をよぎる。
城之内が、うつむく桃子の顔を確かめるように下から覗きこんでくる。飲みかけのペットボトルや書類の余りを片付けている制作会社の社員たちが、チラチラとこちらを見ているのがわかる。林がへぇ~と大きな声を出した。
きまずい。はずかしい。
ぐるぐると心を駆け回る混乱が、コウの怒りへと収束していく。
なんでこんなところで言っちゃうのよ。
恨みがましげに横目で睨んでも、案の定コウは涼しい表情だ。
「あー言われてみれば、たしかに……。トウコちゃん?」
城之内の口調が丸くなる。昔、子ども相手だからか、城之内はこんな口調でトウコに演技指導をしていた。ふいに思い出した記憶の欠片が心をふっと柔らかくして、微苦笑が生まれた。
「はい。お久しぶりです」
じっとトウコの顔を見た城之内が、そのまま手近なパイプ椅子を手探りで引き寄せて座りこんだ。
「うわ。ほんとに久しぶりだね。そっかぁ、今マネになってるんだ」
その言葉になんとも返せず、苦笑いでやり過ごす。宇野の、自分を売りこめという言葉を思い出す。だけどやっぱり、そんなことできそうもない。
「いや、今も事務所にいるんですよ。俺の先輩です」
ここでも割って入ったのはコウだった。へぇ、と城之内と林が桃子の全身を眺める。その視線が居心地悪く、身じろぎした。
「なにか仕事ありませんか? せっかく一緒に現場来てるし、エキストラとかあったらやらせてほしいって宇野が言ってました」
予想外の発言に、ギョッとコウを振り返る。
これじゃ立場が逆だ。まるでコウがマネージャーのように桃子を売り込んでいる。
「そうだなぁ」
顎髭をつまみながら、城之内は八百屋の野菜を吟味する主婦のように桃子を見た。胸の奥が緊張でピリリと尖る。半ば無意識に背筋を伸ばした。
「ま、考えとくわ」
話を切り上げるようにそう言うと、城之内は林の方を向いた。会話を再開しようとする二人に向かって、
「よろしくお願いします」
コウは桃子より先に頭を下げた。慌ててコウよりも深くお辞儀をしながら、鼓動がドクドクと騒いでいた。
なにこれ?
どうしてコウが?
顔を上げて振り返ると、コウはすでに背を向けて歩き始めていた。
「あの」
背中を追いかけながら声をかけると、コウは振り返らずに言った。
「次の予定は?」
突然変わった話題に一瞬面食らって、その後すぐにスケジュール帳を引っ張りだす。
「赤坂のスタジオでCM撮り、その後雑誌の撮影が三件入ってます」
「わかった」
コウは短く答えると、会議室の扉を押した。
「コウさん」
自分でもなにが言いたいのかわからない。だけど、鼓動が桃子を急かすように忙しなく鳴るから。
だから桃子はドクドクと鳴る心臓を抱えて、自分からコウのそばへと歩み寄った。
「お疲れさまでした」
本読みが終わり出演者とスタッフが会議室を出て行く中、城之内はこちらをチラッと見ると「お疲れさま」と小さく返した。そしてすぐに隣にいた林と話し始める。
やっぱり、忘れてるか。
予想していたことだけど、それでも無意識に張っていた肩の力がするりと落ちたのを感じた。
「明日もコウをよろしくお願いします」
大方のマネージャーが言うセリフと同じ言葉を吐いて、二人が見てないことを承知で頭を下げた。
その場を引き返そうとしたとき、
「城之内さんて昔プラネット録ってたんですよね?」
明るい声が後ろから聞こえた。
城之内と林が振り返る。桃子はぎくりと身体を強張らせた。咎めるように眉を寄せて振り返っても、本人は気にせず笑顔を浮かべている。
「そうそう。あれで俺映画デビューしたんだよ」
城之内が懐かしそうに目を細める。その表情には見覚えがあった。リテイクもナシに長い台詞を言い切ったとき、城之内は今みたいに目を細めて笑っていた。
「彼女、トウコですよ。シュン役の」
ぼうっとしている間に、コウはさらりと言った。
「え?」
城之内は目を丸くすると、今はじめて桃子という人物に気がついたというような顔で振り返った。
焦ったのは桃子だ。
「コウさん!」
おもわず非難がましい声をあげても、コウはニコニコ笑って動じない。
「今俺のマネージャーなんです」
「……マジ?」
城之内がポツリと呟く。かぁっと頬に熱が集まるのがわかり、反射的に下を向いた。
子役上がりの一発屋――。
この間ディレクターに言われた言葉が、こんな時に脳裏をよぎる。
城之内が、うつむく桃子の顔を確かめるように下から覗きこんでくる。飲みかけのペットボトルや書類の余りを片付けている制作会社の社員たちが、チラチラとこちらを見ているのがわかる。林がへぇ~と大きな声を出した。
きまずい。はずかしい。
ぐるぐると心を駆け回る混乱が、コウの怒りへと収束していく。
なんでこんなところで言っちゃうのよ。
恨みがましげに横目で睨んでも、案の定コウは涼しい表情だ。
「あー言われてみれば、たしかに……。トウコちゃん?」
城之内の口調が丸くなる。昔、子ども相手だからか、城之内はこんな口調でトウコに演技指導をしていた。ふいに思い出した記憶の欠片が心をふっと柔らかくして、微苦笑が生まれた。
「はい。お久しぶりです」
じっとトウコの顔を見た城之内が、そのまま手近なパイプ椅子を手探りで引き寄せて座りこんだ。
「うわ。ほんとに久しぶりだね。そっかぁ、今マネになってるんだ」
その言葉になんとも返せず、苦笑いでやり過ごす。宇野の、自分を売りこめという言葉を思い出す。だけどやっぱり、そんなことできそうもない。
「いや、今も事務所にいるんですよ。俺の先輩です」
ここでも割って入ったのはコウだった。へぇ、と城之内と林が桃子の全身を眺める。その視線が居心地悪く、身じろぎした。
「なにか仕事ありませんか? せっかく一緒に現場来てるし、エキストラとかあったらやらせてほしいって宇野が言ってました」
予想外の発言に、ギョッとコウを振り返る。
これじゃ立場が逆だ。まるでコウがマネージャーのように桃子を売り込んでいる。
「そうだなぁ」
顎髭をつまみながら、城之内は八百屋の野菜を吟味する主婦のように桃子を見た。胸の奥が緊張でピリリと尖る。半ば無意識に背筋を伸ばした。
「ま、考えとくわ」
話を切り上げるようにそう言うと、城之内は林の方を向いた。会話を再開しようとする二人に向かって、
「よろしくお願いします」
コウは桃子より先に頭を下げた。慌ててコウよりも深くお辞儀をしながら、鼓動がドクドクと騒いでいた。
なにこれ?
どうしてコウが?
顔を上げて振り返ると、コウはすでに背を向けて歩き始めていた。
「あの」
背中を追いかけながら声をかけると、コウは振り返らずに言った。
「次の予定は?」
突然変わった話題に一瞬面食らって、その後すぐにスケジュール帳を引っ張りだす。
「赤坂のスタジオでCM撮り、その後雑誌の撮影が三件入ってます」
「わかった」
コウは短く答えると、会議室の扉を押した。
「コウさん」
自分でもなにが言いたいのかわからない。だけど、鼓動が桃子を急かすように忙しなく鳴るから。
だから桃子はドクドクと鳴る心臓を抱えて、自分からコウのそばへと歩み寄った。