ヒーローに恋をして
 移動中の車内で、ハンドルを握りながら桃子は言った。
「やめてくださいよ、ああいうの」
「ああいうのって?」
 横を見ると、コウは映画の台本に目を通している。長い足が助手席の中で窮屈そうに組まれていた。だから後ろ行けばいいのに、そう思いながらハンドルを切る。

「だから、私が役者だとかいうの」
「だって本当のことじゃん」
 ちら、とコウが目線を上げた。
「映画が始まったらさ、ももちゃんの顔も名前もバンバン表に出るんだよ。プロモでいろんなとこに行くしさ」
 ももちゃんこそわかってるの、と呆れたようにコウが言う。その言葉に、桃子は唇をぐにゃりと曲げた。

「じゃあやっぱりマネは他の人にしてくださいよ」
 撮影場所が見えてきた。今日はスタジオではなく、区営体育館でロケを行う。駐車場に入るためにウィンカーを出して、片手で関係者用のパスを探った。運転なんて、二十歳の時に免許を取ったきりろくにしなかったのに。ここ最近ですっかり勘を取り戻していた。

 こんな風に変わっていく。マネージャーの自分、になっていく。
 その一方で、表舞台に引っぱり上げられる。真逆の自分が育っていくことに、混乱していた。もともと器用じゃないのだ。

「やだね」
 それなのにこの男は、あっさりと却下する。いい加減腹がたって、駐車場にやや乱暴に車を停めた。
「コウさん」
 振り返って口を開いて、思ったよりも真剣な顔をしたコウと目が合う。ぎくりと固まると、動きだすより先にサイドブレーキを掴んでいた手に上から手を重ねられた。
 唐突な接触に、びくりと心が揺れる。

「だって、こうでもしなきゃ一緒にいれないじゃないか」
 
 なに言ってるんだろう。言葉の意味を探れず、眉間にうっすらと皺が寄る。

「朝も、昼も、夜も、俺のことだけ考えてればいい」
「――――」
 問い返すこともできなかった。真剣な目が、笑い飛ばしたっていいようなことを本気で言ってると告げている。

 コウはふいに視線をそらし、扉を開けると外へと出て行った。バタン。扉の閉まる音がやけに大きく聞こえる。
 
 ……今の、なに?

 サイドブレーキを握る手が、じわりと汗で湿った。
< 38 / 99 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop