ヒーローに恋をして
「どうだ、かっこよかったろう」

 いたずらを自慢する少年のように、どこか無邪気にナオトが笑う。ユキは反射的に口を開いた。
「思ったよりもマシでしたね」
 ナオトがムッとした顔で、ユキに一歩近づく。腕を捕むとユキを引き寄せた。

「俺に惚れたくせに」
 自信満々に言い切る声が、甘く挑発する。口を開きかけて、

 俺のことちゃんと見てよ

 数分前の言葉が、耳の裏に反響した。

 コウ。

 透明の皮を剥ぐように、目の前の男がナオトからコウへと戻っていく。

 ごくん。喉が鳴った。心臓の音が速い。真横でカメラマンが桃子の表情を映している。その後ろに立つカメラアシスタントと、照明スタッフと。幾人もの気配を感じる。それなのに。 
 
 つぎの台詞、なんだっけ――?

 頭の中が真っ白にはじける。そのなかで、腕を掴むコウの手を強く意識した。長い指が、車の中で手の甲を包んでいたことを思い出す。どんどん関係ないことばかり思い浮かんで、止まらない。

 まずい。NGだ。

 諦めかけた瞬間、コウと目が合った。おそらく頼りなげな目をしている自分をしっかりと見つめる、凪いだ黒い目。どうしてだか、抱きしめられたときを思い出した。
 ああ、あの時もこんな距離で、この目は桃子を見ていた。

 ぶわり。頬に熱があつまる。深い黒色の目にむかって、言葉が零れた。

「惚れてなんかいません」
 
 いったい自分は誰にむかって言ってるんだろう。ナオト?
 それとも――?

 カット。
 城之内の声が聞こえて、桃子は長く息を吐いた。
< 41 / 99 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop