ヒーローに恋をして
「ちょっと付き合ってよ」

 撮影後の体育館は静かだった。機材や床に伸びていた幾種類ものコードは回収され、スタッフと一緒にバンに収まっている。体育館は時間制で借りているので、皆テキパキと撤収作業をして帰っていった。

 それなのにコウは、楽しげに笑うとバスケットゴールを指さした。
「ワン・オン・ワン。久しぶりにやろうよ」

 桃子は眉を顰めた。一対一で先に得点を取った方が勝ち、のワン・オン・ワン。二人で最後にこのゲームをしたのは小学生の時だ。当時こうちゃんに負けたことなんてなかった。

だけど今はちがう。さっきの試合シーン、代役は使わなかった。実業団の選手並の身体能力を持ってる相手とゲームしたって、負けは見えてる。
「やですよ」
 すげなく言って、腕時計を見る。
「コウさん、まず事務所に戻って社長と打ち合わせです。むこう着いたらプレゼント用のサインを書いてほしいので」
「こわいの?」
 腕時計を見たまま、一瞬かたまる。コウはなにも言わない。漂う沈黙に引力があるかのように、ゆっくりと顔をあげた。

 嫌なの、じゃなくこわいの、と聞かれた。なぜだか、心をぐらりとゆすられた気がした。

「ももちゃんさ、俺のこと恐がってない?」
「――――」
 まただ。駐車場といい、この間の夜といい。

 それまであった正しい距離をひと息で詰められたようで、どうしていいかわからない。
 言葉に詰まって目をそらす。

「こわくなんてないです」

 おさななじみの男の子。かわいいお姫さまのこうちゃんのことを、たとえ面影がなくなっても恐いだなんて思わない。
 そんなふうに思う自分なんて、認めない。

「なら勝負しようよ。俺に勝ったら、なんでも言うこと聞いてあげる」
 ニヤリと笑った顔は、悪戯を思いついた少年のようだ。
「たとえば、マネージャー辞めるように宇野さんに言ってあげてもいいし」
「……ほんとに?」
 おもわず問い返していた。マネージャーじゃなくなれば、こんなに四六時中一緒にいなくてもいい。それはなんだか、ひどくほっとする提案だった。
「でも俺が勝ったら」
 ゆったりと笑ったままコウが言う。
「キスさせて」
< 43 / 99 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop