ヒーローに恋をして
となりのお姫さま
むかし隣の家にはお姫さまがいた。
お姫さまの名前はコウといって、桃子のふたつ下の小学三年生。名前とランドセルの色が主張するように、コウは男の子だった。けれど彼をひとめ見た大人たちは皆一様にその性別を忘れ、道の小猫をかわいがるようにしゃがみこんで、おじょうちゃんいくつ~? かわいいね~と接近をはかっていた。
中には良からぬことをたくらむ大人も混ざっていて、そういう時は桃子の出番だった。後ろから膝カックンをかまして、驚いた大人が振り返る間にコウの前に立つ。伸びた背筋とコウを守るように広げられた両手は子どもながら澄んだ正義感を漲らせ、心にヤマシイものを抱えている大人たちを怯ませる効果はあった。
「こうちゃんに触らないで、ヘンタイ」
子ども独特の高いよく通る声でそう言えば、彼らは焦った顔で去っていく。アニメの悪者のようにわたわたと走り去っていく後ろ姿にフンと鼻息を荒くしていると、後ろからかわいらしい声がした。
「ももちゃん、ありがとう」
一本一本が細い絹のような黒髪は天使の輪をピカピカと光らせている。黒目の割合が大きな丸い二重の目はいつも潤んでるように艶を浮かべて、白い肌によく映えている。桃色と朱色を混ぜたような小さな唇。童話の白雪姫の話を読んだとき、まっさきに幼なじみの顔が頭に浮かんだ。
自分の肩あたりにある頭をよしよし、と撫ぜると、コウの瞼がパタンと閉じて長い睫毛がふさりと見える。
「こうちゃんはもっと、キキカンリノウリョクをもたないと」
この間ニュースを見ながら母親が言った言葉を真似て言う。コウはくすぐったそうにふっくりと笑って首をすぼめた。
「ももちゃんが来てくれるから、いいの」
ももちゃんは僕のヒーローなんだよ。
そう言って、コウはウットリとした目を桃子に向ける。悪者から助けられたお姫さまが、ナイトを見るときのような目で。
ももちゃんは、僕のヒーロー。
あのころ、コウはよくそう言っていた。アヤシイ大人を撃退したときだけじゃない。オンナオトコ、とコウをからかうガキ大将に膝蹴りをお見舞いしたときも、桃子が所属するミニバスケットクラブの試合を見たときも。
いつもコウは嬉しそうに言っていた。
だからいつか思うようになったのだ。ずっとずっと、この華奢で小さなお姫さまを守るヒーローでいたいと。
「ほら、帰ろう」
手を差し出すと、白くてほっそりした指がするりと桃子の手に絡む。こちらをのぞきこむ目は半熟卵のようにとろりとした光を纏っている。
小学校までの道を、二人はそうやって並んで歩いた。自分より細く小さな指を放さないようにぎゅっと力をこめれば、子ども同士の高い体温はお互いをすぐにあたためあって冬の日もあたたかい。
春も、夏も、秋も、冬も。そうやって一緒に歩いた。この時間がずっと続くと信じて疑わなかった。
お姫さまの名前はコウといって、桃子のふたつ下の小学三年生。名前とランドセルの色が主張するように、コウは男の子だった。けれど彼をひとめ見た大人たちは皆一様にその性別を忘れ、道の小猫をかわいがるようにしゃがみこんで、おじょうちゃんいくつ~? かわいいね~と接近をはかっていた。
中には良からぬことをたくらむ大人も混ざっていて、そういう時は桃子の出番だった。後ろから膝カックンをかまして、驚いた大人が振り返る間にコウの前に立つ。伸びた背筋とコウを守るように広げられた両手は子どもながら澄んだ正義感を漲らせ、心にヤマシイものを抱えている大人たちを怯ませる効果はあった。
「こうちゃんに触らないで、ヘンタイ」
子ども独特の高いよく通る声でそう言えば、彼らは焦った顔で去っていく。アニメの悪者のようにわたわたと走り去っていく後ろ姿にフンと鼻息を荒くしていると、後ろからかわいらしい声がした。
「ももちゃん、ありがとう」
一本一本が細い絹のような黒髪は天使の輪をピカピカと光らせている。黒目の割合が大きな丸い二重の目はいつも潤んでるように艶を浮かべて、白い肌によく映えている。桃色と朱色を混ぜたような小さな唇。童話の白雪姫の話を読んだとき、まっさきに幼なじみの顔が頭に浮かんだ。
自分の肩あたりにある頭をよしよし、と撫ぜると、コウの瞼がパタンと閉じて長い睫毛がふさりと見える。
「こうちゃんはもっと、キキカンリノウリョクをもたないと」
この間ニュースを見ながら母親が言った言葉を真似て言う。コウはくすぐったそうにふっくりと笑って首をすぼめた。
「ももちゃんが来てくれるから、いいの」
ももちゃんは僕のヒーローなんだよ。
そう言って、コウはウットリとした目を桃子に向ける。悪者から助けられたお姫さまが、ナイトを見るときのような目で。
ももちゃんは、僕のヒーロー。
あのころ、コウはよくそう言っていた。アヤシイ大人を撃退したときだけじゃない。オンナオトコ、とコウをからかうガキ大将に膝蹴りをお見舞いしたときも、桃子が所属するミニバスケットクラブの試合を見たときも。
いつもコウは嬉しそうに言っていた。
だからいつか思うようになったのだ。ずっとずっと、この華奢で小さなお姫さまを守るヒーローでいたいと。
「ほら、帰ろう」
手を差し出すと、白くてほっそりした指がするりと桃子の手に絡む。こちらをのぞきこむ目は半熟卵のようにとろりとした光を纏っている。
小学校までの道を、二人はそうやって並んで歩いた。自分より細く小さな指を放さないようにぎゅっと力をこめれば、子ども同士の高い体温はお互いをすぐにあたためあって冬の日もあたたかい。
春も、夏も、秋も、冬も。そうやって一緒に歩いた。この時間がずっと続くと信じて疑わなかった。